日本紀略 / 延長八年(930)二月廿四日条
「廿四日 詔して天下大赦す。 去年の風水之災、・今春の疫癘之患に依る也」
天皇は醍醐天皇。 延喜23年923閏4月11日、干ばつと疫疾により延喜から延長へ改元したばかりでしたがなお疫病・自然災害が続発していたようです。此の年延長八年八月には清涼殿落雷事件もあり道長公の怨霊によるとされていきました。 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永十年(1273)二月廿四日条
「廿四日 五壇法ヲ禁中ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」
天皇は後宇多。鎌倉将軍は惟康親王、執権は時宗。文永十一年に文永の役がおこります。彗星の出現はやはり不吉でした。 . . . 本文を読む
河口 慧海は1945年(昭和20年)の今日2月24日、脳溢血のため80歳で死去しています。黄檗宗の僧侶。梵語の仏典原典とチベット語訳の仏典入手のため当時鎖国のチベットへ命がけで密入国。『チベット旅行記』を読むと当時の緊張感が促促と伝わってきます。帰国後は大正大学教授、仏典翻訳や蔵和辞典の編集に没頭していましたが、のちに僧籍を返上し在家仏教を提唱しています。慧海の遺骨は谷中の天王寺に埋葬されたが、現 . . . 本文を読む
今日24日は上賀茂神社・幸在祭(さんやれさい24日正午頃)です。上賀茂神社ホームページです。「上賀茂で古くより行われている今で云う成人祭です。当神社、摂社大田神社、田の神と山の神に15歳の元服を奉告します。」かくいう自分は俗世のころある国家的大施策が行き詰まっていたのを引き継ぎ、この成功をこの上賀茂神社に祈り見事成就して頂いたことがあります。 . . . 本文を読む