福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は白河上皇が高野山参詣に出発された日

2025-02-22 | 法話
寛治二年1088二月二十二日、白河上皇が高野山参詣に出発されています。これが天皇の高野山参詣の始めとされています。このとき白河燈が灯されたとされます。(白河上皇高野山参詣記) 「寛治二年、歳次戊辰、二月二十二日己亥、天晴、今日太上皇為遂多年之蓄懐、参詣高野之聖跡、自去十三日有御潔斎、西面御門立犬禦禁機悪事、御進発大儀在昨日、而依雨延及今日、巳甦、摂政参入、・・・」 廿七日、甲辰・・・指廟堂参御 . . . 本文を読む
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今日は蒙古再再襲来に備え孔雀経法七佛薬師法が宮中で修せられた日

2025-02-22 | 法話
今日は蒙古再再襲来に備え孔雀経法七佛薬師法が宮中で修せられた日「七佛薬師法現行記」に「正応六年1293/二月二十二日 異国降伏の為、禁中に於いて同法(七佛薬師法)修せらる。」「孔雀経御修法記」に「正応六年1293/二月二十二日己酉、異国降伏の為、大聖院御所に於いて孔雀経法始めらる。阿闍梨は御室・・」天皇は伏見天皇。鎌倉幕府は久明親王、執権は北条貞時。四月には鎌倉大地震が起こりますが、当時はその予兆 . . . 本文を読む
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十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)、22(最終回)

2025-02-22 | 十善戒
「百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば 萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし」(慈雲尊者の和讃終わり)未曽有因果経に「仏、波斯匿王に告げたまはく『世人、心粗なること例えば猿の如し。諸々の煩悩の為に動転せらる。この故に十善道を行ぜんとおもふ者は遅れてはならない。十善戒を修行するに三時という概念がある。まず、晨より食時にいたる(間、守るを)名つ゛けて上時とする。次に、(十善戒を)一食の間 . . . 本文を読む
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「上宮太子廟参拝記文」

2025-02-22 | お大師様のお言葉
弘法大師全集にある「上宮太子廟参拝記文」です。  「上宮太子廟参拝記文 嵯峨天皇の御宇、弘仁元年河内の国の聖所に於いて道場を建立し、籠居の處を卜する之間、上宮聖王の御廟に参詣する事一百箇日也。第九十六日の夜半一霊建有。御廟洞之内に微妙の小音有りて大般若理趣分を誦す。音に応じて光明在り。爰に空海祈念すらく、この妙事誰人の所為ぞや。願わくは我に示せと。所願に応じて廟窟の前に一の光明輪あり。美妙の音有り . . . 本文を読む
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今日は後宇多法皇が醍醐寺憲淳にあてて宸筆を発せられた日

2025-02-22 | 法話
徳治三年(1307)二月二十二日は後宇多法皇が醍醐寺憲淳にあてて宸筆を発せられた日です。国宝・後宇多法皇宸筆当流紹隆教誡国宝・後宇多法皇宸筆当流紹隆教誡(第一通目) 一通以下、「宸翰英華」等に依ります。後宇多上皇は醍醐寺報恩院憲淳に信頼を置いておられたが、憲淳が病篤となり上皇は書を以て憲淳の三宝院流を伝授してもらい三宝院流の正嫡となろうと考えられた。もともと後宇多上皇は退位後の徳治二年(1307) . . . 本文を読む
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聖徳太子の子孫はなぜ絶えたか?

2025-02-22 | 先祖供養
    結論は「太子が子孫を絶やす算段をされたから」となります。   徒然草第六段「わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。」に以下のようにあります。    「前中書王(兼明親王(914~987)子は源伊陟)・九条太政大臣(藤原良経、子は六人)・花園左大臣(源有仁、子は四人)みな、族絶えん事を願ひ給へり . . . 本文を読む
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都内の聖徳太子堂

2025-02-22 | おすすめ情報
・世田谷区太子堂円泉寺・川崎大師太子堂・源証寺(太子堂)足立区入谷2-15-25・明福寺(太子堂)江戸川区江戸川3-8-1・南蔵院しばられ地蔵(太子堂)葛飾区東水元2-28-25・高輪神社(太子堂)港区高輪2-14-18・富岡八幡宮(聖徳太子社)・圓成寺 町田市鶴間1210等 . . . 本文を読む
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聖徳太子和讃

2025-02-22 | 諸経
聖徳太子和讃・・毎月二十二日は聖徳太子様の日です . . . 本文を読む
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2月22日は「竹島の日」です

2025-02-22 | 先祖供養
2月22日は「竹島の日」です   https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjS3eGLl9fuAhVL7GEKHRDQDkYQFjACegQIAxAC&url=https%3A%2F%2Fwww3.pref.shima . . . 本文を読む
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