福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「病床でのお四国遍路」

2020-07-21 | 頂いた現実の霊験
「病床でのお四国遍路」(T・R女史。日本巡礼記集成)
「・・私は大連で結核に罹り五か月寝ていましたが故郷のほうが空気が良いからといわれて故郷の愛媛の実家に帰りました。しかし何年かして終戦を迎えても一向に回復しません。むしろ衰弱する一方でした。恐れられている結核だけに実家では兄弟親戚に疎まれて苦悩は筆舌に尽くせないものがあり神仏にお縋りする気さえも起こりません。
もう絶体絶命という気持ちになっていたころ、高野山発行の「聖愛」を龍泉寺ご住職から頂きました。そこには次のようにありました。「偲べ、そちは今こそ人生に接したのだ。そこはよく人の通る道である。だがまた本当は人のよく通らない道でもある。その悲しみ、苦しみ、つらさこそ人生である。そは、人生の果ての道であるが、また染み染じみと貴い道でもある。その悲しみ苦しみを差し挟んで人と仏は抱きあう。其の人こそ仏を知る。否、仏となる・・」。この所を読んで泣けて泣けて、こんな罪業深き自分がお大師様に届き分かって下さったのかと勝手に嬉しくて嬉しくてたまらなく成りました。有難くて有難くて心から泣きました。そうすると体全体が軽くなった気がしてきます。
それまでは、この醜態を晒してこのままでは死ねない、永遠に死体が発見されない死に方がないものかと探しましたが、起き上がれない体ではどうすることもできませんでした。
しかしこの時から、お大師様にお縋りして息が切れるまで心でお四国参りをしようと決心しました。そこで父が求めてきてくれていた「四国霊場巡拝案内記」を見て、病床でお線香を焚き一か寺ずつ開経偈・心経・御寶号・光明真言・ご詠歌等をあげていきました。
そうするといつの間にか瀕死の結核だった私が病床で起き上がれるようになり、ついには歩けるようになりました。老いた両親の喜びようは大変なものでした。それからはお大師様に頂いた命を大切に日々報恩謝徳につとめております。・・」

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