今日は弘法大師が綜芸種智院を開かれた日です。大師は天長5年12月15日(829年1月23日)、綜合的庶民教育を目的に、藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に綜芸種智院を開設されました。大師の「綜芸種智院式並に序」(以下にあり)では「・・肆 に綜藝種智院を建てて、 普 く三敎 を藏めて 諸 の能者を招く。 冀 ふ所は三曜炳著にして昏夜を迷衢に照らし、五 乘 を鑣 を竝べて群庶を覺苑に駈らん。」とされています。
明治には傑僧釈雲照師が再興し、現在種智院大学となっています。
「辞納言藤大卿(納言を辞任した藤原朝臣三守)、左九条に宅有り。地は弐町に余れり、屋は則ち五間。
東は施薬慈院に隣り、西は真言の仁祠(東寺)に近し。
生休帰真の原(墓地)、南に迫り、衣食出内の坊北に居す。
涌泉水鏡の如くにして表裏なり。流水汎溢として左右ばり。松竹風来れば琴箏の如し。
梅柳雨催し錦繡の如し。春の鳥哢聲ありて、鴻雁于飛す。熱渇(夏の暑さ)臨めば即ち除こる、清涼憩ふときは即ち至る。兌(にし)には白虎の大道あり、離(みなみ)には朱雀の小澤あり、緇素逍遥することなんぞ必ずしも山林にしもあらむ。車馬往還して朝夕相續す。貧道、物を済するに意あり。竊に三教(儒仏道)の院を置くことを庶幾す。一言響きを吐けば千金即ち応ず。永く券契(契約)を捨て遠く冒地(さとり)を期す。給孤の金を敷くことを労せずして忽ちに勝軍(祇陀太子の父)が林泉を得たり。本願忽ちに感ず。名を樹てて綜芸種智院と曰ふ。試みに式を造して記して曰く、
『若みれば夫れ、九流六芸ハ代を済ふの舟梁、十蔵五明ハ人を利するの惟れ宝なり。
故に能く三世ノ如来、兼学して大覚を成じ、十方の賢聖、綜通して遍知を証す。
未だ知らず、一味美膳を作し、片音妙曲を調ぶということを。身を立てるの要、國を修むる道、生死を伊陀(この世)に断ち、涅槃を密多(彼岸)に證すること此れを棄てて誰ぞ。
是を以って前来の聖帝賢臣、寺を建て院を置き、之を仰ぎ道ヲ弘む。
然りと雖も毘訶の方袍は偏に仏経を翫び、槐序の茂廉(学校の秀才)は空しく外書に耽る。
三教(儒仏道)の策、五明の簡の若きに至っては、壅泥して通ぜず。
肆に綜芸種智院を建て、普く三教を蔵めて諸の能者を招く。
冀ふところは三曜炳著(儒仏道ともにあきらかに)にして昏夜を迷衢に照らし、五乗鑣を竝べて群鹿を覚苑に駆らん。或ひは人有りて難じて曰く、『然れども猶、事先覚に漏れて終に未だその美を見ず。何となれば、備僕射(吉備真備)の二教(儒・道)と石納言の芸亭、此の如く等の院並びに皆始め有って終なし。人去って跡穢る』。答す、『物の興廃は必ず人に由り、人の昇沈は定んで道に在り。大海は衆流に資よって以って深きことを致し、蘚迷は積塵を待って高きことをなす。大廈は郡材の支へ支持する所、元首は股肱の扶け保つ所なり。然れば類多き者は竭き難し。偶ひ少なき者は傾き易し。自然のしからしむるなり。今願うところは一人恩を降し、三公(太政大臣、左右両大臣)力を勠せて諸氏の英貴、諸侯の大徳、我と志を同じくせば百世までにして継ぐことを成さむ』。難者の曰く『善いかな』。或は人有て難じて曰、『国家広く庠序を開いて諸芸を勧め励ます。霹靂の下には蚊響何の益かあらむ』。
答ふ、『大唐の城には、坊々に閭塾(私塾)を置いて普く童稚を教ヘ、県々に郷学を開きて広く青衿を導く。是の故に才子城に満ち、芸士国に盈テてり。今是の華城(平安京)には但一の大学のみ有って閭塾有ること無し。是の故に貧賎の子弟、津を問ふところ無く、遠方の好事、往還するに疲多し。今此の一院を建てて普く瞳矇を済はん。亦善からざらん哉』。
難者曰『若し能く果たして此の如くせば美をつくし善をつくして両曜(日月)とも明を争ひ、二儀(天地)とともにして久しからむことを競ハム。國を益する勝計、人を利する宝州なり』。余不敏なりと雖も、一簣を九仞に投げ、涓塵(微小のもの)を八挻(国土八方の飾り)に添へて四恩の廣徳を報じ、三點(法身・般若・解脱)の良因となさむ。
師を招く章
(論)語に曰く、『里は仁を美と為す。択んで仁に処らずんば焉んぞ智を得んや』。
又曰ク、『六芸に遊ぶ』と。
経(大日経)に云く、初に阿闍梨は衆芸を兼ね綜ぶ』と。
論(十地論)に曰く、『菩薩は菩提を成ぜんが為に、先ず五明の処に於いて法を求む』と。この故に善財童子は百十の城を巡って五十の師を尋ね、常啼菩薩は常に一の市に哭して切に深法を求む。しかれば法を求むることは必ず衆師の中にしてす。道を學することは當に衣食の資に在るべし。四のものは備わってしかるのちに功あり。この故にこの四縁(処・法・師・資)を設けて群生を利濟す。處有り、法有りというといえども若し師なくんば解を得るに由なし。故に先ず師を請ず。師に二種あり。一は道、二は俗。道は佛教を傳ふる所以なり。俗は外書を弘むる所以なり。真俗離れざることは我が師の雅言なり。
一 道人伝受ノ事
右、顕密二教は僧の意楽なり。兼て外書に通ぜんとならば住俗の士に任すべし。
意に内の経論を学ばんと楽ふ者有らば、法師、心四量四摂(慈・悲・喜・捨、布施・愛語・利行・同事)に住して、勞倦を辞せず、貴賎を看ること莫くして、宜しきに随って指授せよ。
一 俗の博士教受の事
右、九経(易・書・詩・礼記・春秋・孝経・論語・孟子・周礼)九流(儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家)、三玄(荘子・老子・周易)三史(史記・漢書・後漢書)、七略七代、若しは文、若しは筆等の書の中に、若しは音、若しは訓、或いは句読、或いは通義、一部一帙、瞳矇を発くに堪へたらん者は住すべし。若し道人、意に外典を楽はん者は、茂士孝廉、宜しきに随って伝授せよ。若し青衿黄口(学生や少年で)の文書を志し学ぶ有らば、絳帳先生(校長先生、儒教の先生)、心慈悲に住し、思ひ忠孝に存して、
貴賎を論ぜず貧富を看ずして、宜しきに随って提撕し、人を誨へて倦まざれ。
三界は吾子なりとは大覚の師吼なり、四海は兄弟なりといふは将聖の美談なり(論語「顔淵」)。
仰がずんばある可からず。
一 師資糧食の事
夫れ人は懸瓠に非ずといふは孔丘の格言。皆食に依って住すといふは釈尊の所談なり。然れば則ち其の道を弘めんと欲はば必ず須く其の人に飯すべし。
若しは道、若しは俗、或ひは師、或ひは資、学道に心有らん者には、竝びに皆須く給すべし。
然りと雖も道人素より清貧を事として、未だ資費を弁ぜず。且く若干の物を入る。
若し國を益し人を利するに意有リ、迷を出て覚を証することを志求せん者は、同じく涓塵を捨てて此の願を相済へ。生々世々ニ同じく仏乗に駕して共に群生を利せん。
天長五年十二月十五日 大僧都空海記。」
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