うつ・すつ・すだつ・そだつ
話が多少複雑になつて来たので、こゝらで単純に戻したいと思ふ。
古い言葉に、此はうつぼにも関係があると思ふが、うつと言ふ語がある。空・虚、或は全の字をあてる。熟語としては、うつはた(全衣)・うつむろ(空室)などがある。うつは全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや姫のうつむろは、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。
うつに対してすつと云ふ語がある。うつには二通りの活用がある。うて・うて・うつ・うつる・うつれと活く場合と、うつて・うつて・うつゝ・うつゝる・うつゝれと活く場合と、此二様がある。なげうつは、ものを投げた時の音の聯想から、うちつけるに感じが固定した様であるが、古くはさうでなかつた。現在の語感から古語を解剖すると、往々誤りを生じる。此なげうつも、たまの信仰に照して見ると、どうして此語が出来たか、元の形が訣ると思ふ。
琉球の古語のすぢゆんは、ものゝ中から生れ出ることを意味した語らしい。此は蘇生する・復活するなどに近い気分を持つた語である。日本のうつにも、其がある。此すぢゆんの語根すぢは、他界から来る神を表した語らしく、日本のたまと略、同義語の様である。柳田先生は、此すぢを、我国の古語いつ(稜威)と一つものに見られた。
いつは「みいつを祈りて」とか「いつのちわきにちわきて(大祓の言葉の中に「天(あめ)の磐座(いわくら)放ち天の八重雲(やえぐも)をいづの千別(ちわき)に千別て天降(あまくだ)し」とある)などの用語例に入つて来ると、多少内容が変つて来るが、ほんとうは、い列とう列とが近くて区別のなかつたとき、いつともうつとも言うたらしく、ちはやぶるはいつはやぶるで、またうつはやぶるとも言うて、魂の荒ぶる方面を言うたのだが、其がいつか、神の枕詞になつてしまうた。恐らく、さうした暴威を振ふ神のあつたことを考へた事から出来た語であると思はれる。
とにかく、琉球のすぢと日本のうつとは、おなじ意味の言葉である。すだつは、巣に聯想が向いた為に、巣立つと説いて、主として鳥を聯想するやうになつたが、語根 stu である事を考へれば、すだつ・そだつは同じものであると見ていゝ。すつは、一方すてると言ふ意を持つ様になつた。うつも、うつぼ舟・うつせみなど、からつぽの意にも、目のないものゝ意にも考へられる様になつた。
うつ・すつ・すだつ・そだつは、何れも「たま」の出入に就いて言うた語である。たまがものゝ中でなりいづ――あるゝに至る――までの期間に用ゐた言葉であつたのだが、其がいつか、かひの中に出入することを表す動詞ともなつた。ものゝ中に這入つて来る事を考へたと同時に、外へ出る事を考へた。さうして出る方ばかりに使はれる様になつて、這入る方の考へが段々薄らいで行つた。すだつ・そだつは其の代表的な言葉だと見られよう。
話が多少複雑になつて来たので、こゝらで単純に戻したいと思ふ。
古い言葉に、此はうつぼにも関係があると思ふが、うつと言ふ語がある。空・虚、或は全の字をあてる。熟語としては、うつはた(全衣)・うつむろ(空室)などがある。うつは全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや姫のうつむろは、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。
うつに対してすつと云ふ語がある。うつには二通りの活用がある。うて・うて・うつ・うつる・うつれと活く場合と、うつて・うつて・うつゝ・うつゝる・うつゝれと活く場合と、此二様がある。なげうつは、ものを投げた時の音の聯想から、うちつけるに感じが固定した様であるが、古くはさうでなかつた。現在の語感から古語を解剖すると、往々誤りを生じる。此なげうつも、たまの信仰に照して見ると、どうして此語が出来たか、元の形が訣ると思ふ。
琉球の古語のすぢゆんは、ものゝ中から生れ出ることを意味した語らしい。此は蘇生する・復活するなどに近い気分を持つた語である。日本のうつにも、其がある。此すぢゆんの語根すぢは、他界から来る神を表した語らしく、日本のたまと略、同義語の様である。柳田先生は、此すぢを、我国の古語いつ(稜威)と一つものに見られた。
いつは「みいつを祈りて」とか「いつのちわきにちわきて(大祓の言葉の中に「天(あめ)の磐座(いわくら)放ち天の八重雲(やえぐも)をいづの千別(ちわき)に千別て天降(あまくだ)し」とある)などの用語例に入つて来ると、多少内容が変つて来るが、ほんとうは、い列とう列とが近くて区別のなかつたとき、いつともうつとも言うたらしく、ちはやぶるはいつはやぶるで、またうつはやぶるとも言うて、魂の荒ぶる方面を言うたのだが、其がいつか、神の枕詞になつてしまうた。恐らく、さうした暴威を振ふ神のあつたことを考へた事から出来た語であると思はれる。
とにかく、琉球のすぢと日本のうつとは、おなじ意味の言葉である。すだつは、巣に聯想が向いた為に、巣立つと説いて、主として鳥を聯想するやうになつたが、語根 stu である事を考へれば、すだつ・そだつは同じものであると見ていゝ。すつは、一方すてると言ふ意を持つ様になつた。うつも、うつぼ舟・うつせみなど、からつぽの意にも、目のないものゝ意にも考へられる様になつた。
うつ・すつ・すだつ・そだつは、何れも「たま」の出入に就いて言うた語である。たまがものゝ中でなりいづ――あるゝに至る――までの期間に用ゐた言葉であつたのだが、其がいつか、かひの中に出入することを表す動詞ともなつた。ものゝ中に這入つて来る事を考へたと同時に、外へ出る事を考へた。さうして出る方ばかりに使はれる様になつて、這入る方の考へが段々薄らいで行つた。すだつ・そだつは其の代表的な言葉だと見られよう。