福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「法王もビーガンになって・・・お坊さんもビーガンになって」・・6

2019-02-14 | 法話

大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品第八(全)・・6/6
大慧よ若し癡人ありて謗りて『如來は食肉を聽許せり、亦た自らも食せり』と言はば、當に知るべし是人は惡業に纒されて必ず當に永く不饒益の處に堕せむ。大慧。我のあらゆる諸聖弟子は凡夫の段食すら猶食わず、況んや血肉不淨の食を食んや。大慧。聲聞縁覺及諸菩薩尚ほ惟だ法食(如法の食物)のみ。豈況んや如來をや。大慧。如來の法身は雜食身にあらず。大慧。我已に一切煩惱を斷除す。我已に一切習氣を浣滌す。我已に諸心の智慧を擇び、大悲平等にして普く衆生を猶ほ一子の如しと観る。云何ぞ聲聞弟子の肉食を許さんや。何況んや自ら食はんや。是の説を作す者は是のことわりあることなし」。爾時世尊重て頌を説き言はく、「一切衆生は悉く曾って親屬なり。一切の肉は 衆穢の成長するところなり。(肉食は)諸含生を恐怖す。 是故に應に一切の肉・葱・韮蒜にら及び諸酒は食すべからず。如是の不淨物を 修行者は遠離し、亦常に麻油 及び諸穿孔床を離れよ。 彼の諸細蟲を 中において大驚怖せしむればなり。飮食は放逸を生じ 、放逸は邪覺を生じ、邪覺は貪を生ず。 是故にまさに食すべからず。 邪覺は貪を生ずるゆえに、 心は貪のために醉はさる。心醉は愛欲を長じ、 生死を解脱せず。利のために衆生を殺すも、 財を以て諸肉を取るも二ともに是惡業なり。 死して叫喚獄に墮す。想わず、教えず、求めざる、 此三種を淨肉と名く。しかし 世に如是の肉なし。 食者を我は訶責す。更に互に相食噉して 死しては惡獸中に墮し臭穢にして癲狂なり。 是故に應に肉を食すべからず。 獵師旃茶羅と 屠兒羅刹娑と此等の種中に生ずるは 斯れ皆な食肉の報なり。食已って無慚愧ならば 生生常に癲狂せむ。諸佛及び菩薩・聲聞の嫌惡したまう所なり。象脇経と大雲経と 涅槃経と央掘摩経と 及び此の楞伽經は 我皆斷肉を制す。 先に見聞の疑をとき、 已に一切肉を断ず、其惡習を以ての故に 愚者は妄分別なり。貪障の解脱に於けるが如く 肉等もまた復然り。 若し之を食う者は聖道に入ること能わず。未來世の衆生は 肉において愚癡なるがために説いて 『此は淨なり、罪無し、 佛は我等が食することを聽したまへり』と言う。淨食は尚藥の如し、 猶子肉の想をなせ。是故に修行者は 量を量りて行乞せよ。食肉は解脱に背き 及び聖の表相に違い、衆生をして怖を生ぜしむ。 是故に應に食すべからず。 慈心に安住する者には 我常に厭離せよと説く。師子及虎狼といえども 應に共同に遊止すべし。 若酒肉等を 一切皆食せずんば、必ず賢聖中に生じて 豐財にして智慧具ん。」

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