福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)より、2

2020-02-02 | 十善戒

十善に世間の十善と,天の十善と、出世間の十善とあり。
世間の十善は、太古のときに聖王出でて人民を統制するの正法にして即ち人たる道の根本なり。故によく之を守るものは修身治国利民の益あり。当来は必ず天に生じることを得る。
天の十善とは、忉利天の帝釈天王が能く十善を以て諸々の天衆の放逸を誡慎せしむる、これ天の十善なり。
出世間の十善とは一には声聞乗の十善、二には縁覚乗の十善、三には菩薩乗の十善、四には佛乗の十善、五には秘密乗の十善なり。

さきの世間の十善は、のちに天に生るる益ありといえども、その果報尽くるときはかえりて三途(地獄餓鬼畜生)に落つ。なんとならばいまだ貪瞋痴等の煩悩の根本たる我見を断ずることなきがゆえに、更に種々の煩悩を起こして十悪を行ずることあるをもってなり。故に世間の十善を有漏(煩悩が外に漏れ出る)の十善と名つ゛く。

(これに対して)出世間の十善とは我見を断じて永く地獄餓鬼畜生の三悪道を離れ、漸次に貪瞋痴等の煩悩を断じて永く涅槃にはいって生死にまようことなし、これを出世間の十善と名つ゛く。このなかに先に述べた如く五種の別がある。

一、 声聞乗の十善は唯だ自ら調え自ら覚り自ら努めて生死を離れ、涅槃に帰するを目的とする。故に生々世々の父母四恩に対して済度して共に涅槃に入ることを願う。しかし他人に及ぼすことは少なしとする。

二、 縁覚乗の十善はおよそ声聞乗の十善と同じ、しかしその智慧は少し深く、百劫の間修行して自ら種々の行を修し、三十二相を具現して少し利他の功徳を施す。

三、 菩薩乗の十善は、三大無数劫の間、三界生死にあって六度(檀・戒・忍・進・禅・智)修行を修し、広く布施・愛語・利行・同事の四摂を修してよく一切衆生を利益し、しかしてのちに八相成道(お釈迦様がこの世に出現して示された8種の相。降兜率 ・入胎・出胎・出家・降魔 ・成道・転法輪・入滅)して多くの衆生をして、声聞・縁覚・菩薩の位にのぼらしめ、自利利他の功徳を円満して菩薩涅槃の妙果に至るを菩薩の十善戒という。ここで十善と六度は同じ。つまり、不殺生・不偸盗・不邪淫は衆生に無畏を与えるので六度の内の檀波羅蜜に当たり、同じようにして不両舌は戒波羅蜜、不悪口は忍辱波羅蜜、不綺語は精進波羅蜜、不邪見・不瞋恚は禅定波羅蜜、不邪見は智慧波羅蜜に当る。故に十善戒と六度は同じであり、六度を開けば万行となり、十善を開けば無量の戒律となる。故に菩薩は三大無数劫の間、戒定慧等の六度万行を修行するといえどもその本体は十善戒である。

四、 佛の十善とは・・世間・出世間・声聞・縁覚・菩薩の五種の十善はみなこれ自心に本来備わる仏性の功徳であって、皆佛乗の十善と同じである。たとえば海水の一滴は一滴ごとに皆海水であり、海水の外に一滴なく、一滴を離れて海水がないようなものである。このように世間・出世間・声聞・縁覚・菩薩の五種の十善それぞれそれぞれは実相の妙体であり実相の外に戒なく、戒を離れて実相なしと覚る、これを仏性の十善となすのである。
五、 秘密佛乗の十善とは、本有無垢の浄菩提心の戒である。この戒は諸仏自性の戒であるから一念の殺心も生じないものである。殺心なきにより不殺生戒と名つ゛く。他も同様である。この秘密佛乗の十善戒は、みな真言行者の浄菩提心の功徳であり、一つ一つの戒が皆本有菩提心の功なり。・・心・佛・衆生は同一法界にして、戒を守る者、破る者、その因果の法、皆これ本具の佛徳なりと達観して戒を不持にして持し、不到にして到る、之を秘密の十善となす。

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