大師の入定後、天台宗の円仁は法照の五会念仏をわが国に伝えて、比叡山に常行三昧堂を建て、ここに不断念仏を宣揚した。爾来、空也、源信を経て良忍にいたり、華厳・天台の思想の上から浄土念仏を摂取し、弥陀直授の法門と称せらる、「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、十界一念、融通念仏、信百億遍、功徳円満」の八句を本として融通念仏宗を開創しわが津々浦々に至るまで、これを弘通せられたのである。
かかる情勢に刺激せられt。覚鑁上人は「五輪九字秘釈」とか「阿弥陀秘釈」とかいふごとき書物を著して密教の見地より浄土念仏を力説し、その後法然上人が「選擇本願念仏集」を撰して浄土の一宗を開くや、高野山正智院の道範、また「秘密念佛鈔」三巻を著し、これによりて浄土念仏に対する密教の立場をあきらかにしているのである。(終)
かかる情勢に刺激せられt。覚鑁上人は「五輪九字秘釈」とか「阿弥陀秘釈」とかいふごとき書物を著して密教の見地より浄土念仏を力説し、その後法然上人が「選擇本願念仏集」を撰して浄土の一宗を開くや、高野山正智院の道範、また「秘密念佛鈔」三巻を著し、これによりて浄土念仏に対する密教の立場をあきらかにしているのである。(終)