Q,葬送の自由といい散骨などがおこなわれていますが理にかなっているのでしょうか?
A,「真俗仏事編」(18世紀の密教書)によると、
「天竺には四種の葬送の法がある。一つは水葬でこれは死者を江河に投げて魚鰲の食とする。二つは火葬で薪を積んで焼く。これを荼毘とも闍維(じゃゆい)ともいう。三つには土葬で岸のほとりに埋めて速やかに朽ちるようにする。四つには林葬で寒林に捨て置いて諸々の禽獣の食とするのである。(「行事鈔」ならびに「要覧」による)
おもうにわが宗の意では四種の葬はそのいずれも六大の法界に帰するのであるから古来よりなにがよいかを選ぶということはないが、漢土もわが国も、火葬と土葬の二つの葬のみを用いてきた。天竺においても多くは火葬によって行われたものと思われる。
菩提流支の「宋高僧伝」によれば、西域の喪礼ははなはだ簡なものであったようで、国王や奠長には心を傾け罪に重きを致す者もあるが、死者を舁(か)いて火葬するに過ぎたるものはないという。
またわが国においては孝徳天皇(596~654)は勅を下して身分によって葬法を定められた。庶民は殯(かりもがり)することはできず、葬地を一箇所にして処々に埋めて地を穢すことは禁じられた。」
とあります。
A,「真俗仏事編」(18世紀の密教書)によると、
「天竺には四種の葬送の法がある。一つは水葬でこれは死者を江河に投げて魚鰲の食とする。二つは火葬で薪を積んで焼く。これを荼毘とも闍維(じゃゆい)ともいう。三つには土葬で岸のほとりに埋めて速やかに朽ちるようにする。四つには林葬で寒林に捨て置いて諸々の禽獣の食とするのである。(「行事鈔」ならびに「要覧」による)
おもうにわが宗の意では四種の葬はそのいずれも六大の法界に帰するのであるから古来よりなにがよいかを選ぶということはないが、漢土もわが国も、火葬と土葬の二つの葬のみを用いてきた。天竺においても多くは火葬によって行われたものと思われる。
菩提流支の「宋高僧伝」によれば、西域の喪礼ははなはだ簡なものであったようで、国王や奠長には心を傾け罪に重きを致す者もあるが、死者を舁(か)いて火葬するに過ぎたるものはないという。
またわが国においては孝徳天皇(596~654)は勅を下して身分によって葬法を定められた。庶民は殯(かりもがり)することはできず、葬地を一箇所にして処々に埋めて地を穢すことは禁じられた。」
とあります。