10月4日、最終日です。今日は旧暦8月15日中秋の名月の日に該たっています。最後の第100座は蝕が3時半なので午後入堂します。従って朝はゆっくり明星の出に合わせてお堂を3時頃でました。中秋の名月の日だけあって空は晴れて一面のお星様です。舎心嶽の参道を一歩一歩踏みしめながら登っていきました。あすからはこの参道を登る事はありません。わたしは終始此の行では外の諸堂参拝と明星禮が体になじんでいました。前世でここの行場にいたのかもしれないと思ったほどでした。なんとも懐かしい複雑な気持ちです。舎心嶽の頂上でふりかえり天照大神社を拝むとなんと社の丁度真上に中秋の名月がかがやいていたのです。行の前には伊勢神宮をお参りし、行中も浅井先生から指導されたように毎朝祓詞をおとなえしていたのですが最後の日にこういう形で拝めるとは想像もしていませんでした。何度もお参りした後岩の上にでてお大師様を振り返るとこんどはお大師様のうえに名月が懸かっているのです。そして4時30分ついに明星が東空に出ました。お大師様の上の名月と東空の明星と天空一杯のお星様とに囲まれこころゆくまで明星禮が出来ました。そして1時間以上岩の上で瞑想しました。今まで拝んできた「衆生無辺誓願度」の一端は担わせていただける感がしました。
明星禮がおわり諸堂参拝に移るともう明るくなってきました。いままで明るい中で諸堂参拝をしたことがなかったので気がつかなかったのですが改めて見ると此の寺はすごい寺です。大師堂も高野山の御廟に似ているし、多宝塔には五大虚空蔵様がおまつりしてあり、その大師堂と多宝塔の後ろは巍巍たる岩山になっていてその岩を千年は経ていると思われる大木の根ががっしりと抱えているのです。本堂にはお蔭を受けた人の額が何枚もかかっています。
こんなすごいところで50日も行をさせていただいたのだと拝んで回りながら改めて感慨に浸りました。
最終の100座は3時10分の食の時間に本尊呪が会うように1時過ぎに入りました。本尊呪は名残惜しくてできるだけゆっくりとお唱えしました。観想も何度も修しました。ほんとうにこれで行が終わりなのです。私のような未熟者によくぞ成満させていただきましたと感謝の念のみです。行中にも朝のお月様、お星様、明星が空一面に耀いておられる様が浮かんできました。しかし最後に栢の葉を揆遣するときはなにも起こりませんでした。同時になにか今後の宿題も背負ったような気がして厳粛な気持ちで行を終えました。
成満札には「奉修虚空蔵菩薩求聞持法衆生無辺誓願度祈修」と書き太龍寺、高野山奥の院、高野山普門院、信貴山、おせわになった大師寺、田原先生の観音寺などに納めました。
このあと大師寺西嶋先生や前の行者武智師などが駆けつけてくださりお祝いして下しました。じわじわと成満のよろこびが体にあふれてきます。
このあと6日は京都神護寺で僧侶だけの結縁灌頂です。あわただしく太龍寺をあとにし、西島師の車で京都をめざしました。この日は京都に着くと瓢亭でお祝いをしていただきました。ここ数年にぎやかな座を避けていたので感激すること此の上もありませんでした。
翌日、神護寺の結縁灌頂では不思議でありがたいことに虚空蔵菩薩様と同体の金剛宝菩薩さまに結縁し、さらにその1ヵ月後には中院流瑜祇灌頂でこれも虚空蔵菩薩様と縁の深い佛眼佛母様に結縁しました。なにか身が引き締まる思いがしました。愚者でも一生懸命行をすれば仏様はありがたく見守っていてくださっているのだとおもいました。平成20年逆打遍路で雲辺寺でお大師様にお会いして以来の感激でした。
これでとりあえず「還暦求聞持成満の記」を終えます、書いていて再度行をしている気持になりました。それにしても不思議で有難い事は此の世の中にあるというのがとりあえず今の結論です。これは体験しないと分かりません。此の体験記を丁度お釈迦様の涅槃の日に書き上げることが出来たというありがたい仏縁を感じながらとりあえずご報告を終えます。
明星禮がおわり諸堂参拝に移るともう明るくなってきました。いままで明るい中で諸堂参拝をしたことがなかったので気がつかなかったのですが改めて見ると此の寺はすごい寺です。大師堂も高野山の御廟に似ているし、多宝塔には五大虚空蔵様がおまつりしてあり、その大師堂と多宝塔の後ろは巍巍たる岩山になっていてその岩を千年は経ていると思われる大木の根ががっしりと抱えているのです。本堂にはお蔭を受けた人の額が何枚もかかっています。
こんなすごいところで50日も行をさせていただいたのだと拝んで回りながら改めて感慨に浸りました。
最終の100座は3時10分の食の時間に本尊呪が会うように1時過ぎに入りました。本尊呪は名残惜しくてできるだけゆっくりとお唱えしました。観想も何度も修しました。ほんとうにこれで行が終わりなのです。私のような未熟者によくぞ成満させていただきましたと感謝の念のみです。行中にも朝のお月様、お星様、明星が空一面に耀いておられる様が浮かんできました。しかし最後に栢の葉を揆遣するときはなにも起こりませんでした。同時になにか今後の宿題も背負ったような気がして厳粛な気持ちで行を終えました。
成満札には「奉修虚空蔵菩薩求聞持法衆生無辺誓願度祈修」と書き太龍寺、高野山奥の院、高野山普門院、信貴山、おせわになった大師寺、田原先生の観音寺などに納めました。
このあと大師寺西嶋先生や前の行者武智師などが駆けつけてくださりお祝いして下しました。じわじわと成満のよろこびが体にあふれてきます。
このあと6日は京都神護寺で僧侶だけの結縁灌頂です。あわただしく太龍寺をあとにし、西島師の車で京都をめざしました。この日は京都に着くと瓢亭でお祝いをしていただきました。ここ数年にぎやかな座を避けていたので感激すること此の上もありませんでした。
翌日、神護寺の結縁灌頂では不思議でありがたいことに虚空蔵菩薩様と同体の金剛宝菩薩さまに結縁し、さらにその1ヵ月後には中院流瑜祇灌頂でこれも虚空蔵菩薩様と縁の深い佛眼佛母様に結縁しました。なにか身が引き締まる思いがしました。愚者でも一生懸命行をすれば仏様はありがたく見守っていてくださっているのだとおもいました。平成20年逆打遍路で雲辺寺でお大師様にお会いして以来の感激でした。
これでとりあえず「還暦求聞持成満の記」を終えます、書いていて再度行をしている気持になりました。それにしても不思議で有難い事は此の世の中にあるというのがとりあえず今の結論です。これは体験しないと分かりません。此の体験記を丁度お釈迦様の涅槃の日に書き上げることが出来たというありがたい仏縁を感じながらとりあえずご報告を終えます。