「太神宮諸雑事記」「天平十四年749十一月三日、右大臣橘朝臣諸兄卿、伊勢大神宮に参入、其の故、(聖武)天皇御願寺建立されるべき之由宣旨に依ると祈り申される所なり。而して勅使帰参之後、十一月十一日夜半、天皇の御前に玉女示現し給ふ。坐りて即ち金色光を放ちて、宣ぶ、『本朝は神国なり。神明を欽仰し奉るべきなり。而して日輪は大日如来也。大地は廬舎那仏也。衆生之を悟り當に佛法に帰依すべきなり』と。御夢覚めて之後、御道心いよいよ発し給ひて件の御願寺を始企給り。」
続日本紀・天平神護二年766、七月丙子(二十二日)に「使いを遣りて丈六仏像を伊勢大神宮寺に造る」とあるのでこの頃には伊勢大神宮寺があったと見られています。