第三章、第二、瑞相の三身と随他の三身
大日如来が説法開始に先立って三無尽荘厳(法身の大日如来が身口意の無限の働きをされること)を奮迅示現されるのは大衆を感動させ、以て自証の法門に悟入することを容易にするためであるが、一面から見れば自性会のみならずそれ以外の加持塵土世界の一切衆生にも法益を垂れる慈悲行である。大日如来はかくのごとく受用、変化、等流の諸尊を示現されるが衆生済度のためのこれらの無量の仏身を随他の三身ともいう。そしてこの三身が十方世界で救済活動する相が自性会に現じ、自性会の大衆を感動させるのを瑞相の三身ともいう。・・本来浄土に住みながらその土の真相を知らぬものがはじめてその点(仏国土であること)に目覚める、この種の人に対して瑞相を示して感動させたまうのである。だから大日如来の示したまう、三無尽荘厳を自性会の大衆からは瑞相の三身といい、塵土世界の方からは随身の三身という。
大日如来が説法開始に先立って三無尽荘厳(法身の大日如来が身口意の無限の働きをされること)を奮迅示現されるのは大衆を感動させ、以て自証の法門に悟入することを容易にするためであるが、一面から見れば自性会のみならずそれ以外の加持塵土世界の一切衆生にも法益を垂れる慈悲行である。大日如来はかくのごとく受用、変化、等流の諸尊を示現されるが衆生済度のためのこれらの無量の仏身を随他の三身ともいう。そしてこの三身が十方世界で救済活動する相が自性会に現じ、自性会の大衆を感動させるのを瑞相の三身ともいう。・・本来浄土に住みながらその土の真相を知らぬものがはじめてその点(仏国土であること)に目覚める、この種の人に対して瑞相を示して感動させたまうのである。だから大日如来の示したまう、三無尽荘厳を自性会の大衆からは瑞相の三身といい、塵土世界の方からは随身の三身という。