福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は東大寺真言院を鎮護国家の道場とした日

2024-04-06 | 法話

弘安四年四月六日は太政官牒により、東大寺真言院を鎮護国家の道場とした日
天皇は後宇多天皇。執権は時宗。弘安四年五月 高麗軍が対馬壱岐に来襲する弘安の役。)

「太政官牒 東大寺
 応に弘仁の官符に任せて真言院を以って鎮護国家道場と為して長斎せしめ、梵行の浄侶、息災増益法を勤修すべき事
右、太政官の今日治部省に下せる符に偁わく、沙門聖守の去年(弘安三年1280)十一月 日の奏状を得て偁わく、東大寺真言院は去る弘仁第十の聖暦嵯峨天皇の御宇、弘法大師に勅して甲勝の地を撰ばしめ、新たに潅頂の道場を祐して国家の安寧を祈らしめき。則ち官符に偁わく、苦を抜き楽を与えること、佛乗は是に在り。至心に鑽仰すれば何事か成らざらん。宜しく東大寺に於いて国の為に潅頂道場を建立し、夏中及び三長斎月、息災増益法を修し、以って国家を鎮むべし云々。
玆に因って大仏大殿の前を点じ、東塔と西塔の中に当たりて、忽ち五間四面の潅頂堂を建て、両部九鋪の曼陀羅を安ぜしむ。定額廿一僧は勅命を守りて息災増益の秘法を修し、御願の千万代は叡慮に任せて天長地久の精祈を勤む。爾の時、鳳城の塵収まり、百王は偏に護持の力を馮む。鯢海の波閑にして万民併しながら修念の徳を仰ぐ。四曼荼の萼始めて斯の地に開け、両部界の月新たに当院に耀く。君臣尤も崇重せらるべし。緇素豈に以って帰敬せざらんや。
就中摩尼の宝玉を土に埋め、遺身の舎利同じく納む。而るに建立の後、星霜多く移りて破壊せる間、蹤跡空しく絶え、般若開講の場は荊棘林を成す。舎利安置の處は莓苔、地を埋めて密壇何くにか在る。春駒徒に荒原の風に嘶き、禅床更に空しく秋鹿独り故苑の露に鳴く。然れども高祖(弘法大師)日々の影向は猶闕念すること無く、旧跡連連の検知に頻りに霊異を示す。重源和尚参詣の尅、鈴音親り瑜伽壇の上に韻き、聖慶得業の瞻礼せる處、瑞光正しく潅頂堂の縱に現る。加以正治の秋天に紫雲屢ば聳え、建保の春日に金篋忽ち彰る。末世たりと雖も奇独無きに非ず。
爰に聖守、且は先王の御願を続いで金輪の平安を祈り奉り、且は祖師の遺跡を崇めて鉄塔の教法を興さんと欲す。然れば則ち再び基址を祐さんが為に竊に誓願を発さしむ。仍って高野山の莓洞に跪きて多年大師の加被を泣請し、大神宮の叢祠に籠りて数廻深く尊神の冥助を仰ぐ。而れば機感の時至って霊託日に新たなり。
之に依って去る建長第七の暦暮春三月の天、始めて荒蕪の地を擺き土木の構えを跂てしむること、勅施を待たず、寺物を費やさず。只三宝の威力を仮りて速やかに一院の興行を遂げたり。佛閣僧院は皆弘仁の住蹤を複し、本尊道具悉く大師の在世に同じ。剰へ数口の浄侶を安じて両部の大法を修せしむ。但し三衣一鉢の資縁、闕乏せしむるに依って廿一口の定額(僧)満足せずと雖も、漸く其の勤めを致したれば蓋し彼の願いを成ず。
抑も当院止住の緇徒に至っては宜しく高祖遺誡の玄旨を守り、最も五篇の禁戒を護持すべし。三密の秘法を修行すべし。若し身器全うせざれば争か法乳を受くべき。世は末法に属すと雖も、人の本教を忘ること莫し。破戒無戒の彙は更に当院に住すべからず。浄行梵行の仁、尤も今の砌に居せしむべし。望むらくは天裁を請い、早く弘仁の官符に任せて清浄持律の僧侶を安置して息災増益の秘法を勤めしめ、聖朝安穏の御願を祈り奉るべき由宣下せらるれば、弥三長斎月の妙行を千秋万歳の宝祚を祈らしめん。幸いに黄河一清の聖代に値い奉り、久しく青龍三密の法水を湛えんと欲す、と者えり。

正二位行権大納言藤原朝臣信嗣、宣す。勅を奉るに「請に依れ」てへり。省、宜しく承知して宣に依り之を行え、てへり。寺、宜しく承知して牒の到らば、状に准ぜよ。故に牒す。
  弘安四年(1281)四月六日
 〔修理左宮城判官正五位上行左大史兼備前権介小槻宿禰牒す。〕
従四位下行左少弁平朝臣(信輔)」

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