承和元年(834) 四月丙戌(6日)「 勅す、災を未萌に防ぎ、兼ねて豊稔を致すため、修善の力、職此之由。宜しく畿内七道諸国をして、国内行者を択びて 国分僧寺において三ケ日の内、昼は則ち金剛般若経(注1)を転じ、夜は則ち薬師悔過(注2)を修せしめよ。事畢るまでは殺生を禁断す。又 疫癘の処あるが如きは、各の国界において攘祭(災)せよ。務めは精誠に存し、必ず霊感を期せよ。 」(続日本後紀)
注1)金剛般若経の霊験
注2)薬師悔過
薬師如来を本尊として、その仏前で罪過を懺悔して薬師経を講讚する行事。
続日本紀‐天平一六年(744)十二月壬辰にも「天下諸国に薬師悔過せしむ。七日なり。」