福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

アゲハの幼虫が教える3つの厳しさ・・その1

2010-08-21 | 法話
アゲハの幼虫が教える3つの厳しさ・・その1


アゲハの幼虫を飼育していますがさまざまのことを思わせられます。
最近、庭のゆずの小木にアゲハの幼虫がつぎつぎと育っていくのを観察するのがたのしみでしたが、それらの幼虫がさなぎになる直前どれも鳥に食べられるらしく次々にすがたを消すのです。
かわいそうになりアゲハの好むという蜜柑の植栽を買ってきて室内に置きここに庭の木にいた2匹の幼虫を連れて来て飼うことにしました。ところが1匹は何度も木から脱走します。其の都度廊下や下駄箱にへばりついているのを見つけて蜜柑の植栽にもどすのですがあるとき行方不明になってしまいました。いくらさがしても見つかりません、終に諦めました。
此の一件で3つのことを実感させられました。

1つ目はわれわれ人間として存在できている事はいかに稀有なまさに「有り難い」ことであるのかということです。庭のアゲハはゆずの小木に何十何百もの卵を産み付けられていますがそれらが孵ってもアゲハになれる確率は百分の一くらいといわれています。庭の幼虫もつぎつぎと食べられていたらしくいままで無事アゲハになれたのは一匹も居ません。アゲハにしてこれです。ましてや戦後日本に生れてきてしかも病気や事故などさまざまの試練を乗り越えて生存できているわれわれはそれだけで奇跡ではないかとあらためて思わせられました。
「盲亀浮木」(雑阿含経にある言葉、お釈迦様が阿難に、百年に一度海上に浮かび上がる盲亀が浮木の穴に首を出せる確率とおなじくらい人間に生まれることは難しい、と説かれたもの。)や「人身うけがたし、今すでにうく。仏法聞きがたし、今ここに聞く。 この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」という三帰依文のことばの重さはこの芋虫達の運命をみているとヒシヒシと感じられました。
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