神皇正統記には「真言第一」としつつ「為政者は諸宗を捨てず庶民教化の機をつかむべし」としています。
「神皇正統記・嵯峨天皇の条」「・・・東寺は桓武遷都の初め、皇城の鎮めのためにこれを建てらる。弘仁の御時、弘法に給ひてながく真言の寺とす。諸宗の雑住を許さざる地なり。
此の宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教に越えたる極秘密と思へり。就中我国は神代よりの縁起、この宗の所説に符合せり。(大師の作とされる「天地麗気記」には以下のように「天神七葉は過去七佛」と説いています。
「天神七葉(国之常立神(くにのとこたちのかみ)豊雲野神(とよぐもぬのかみ)宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)伊邪那岐神・伊邪那美神)は過去七佛(毘婆尸仏; 尸棄仏; 毘舎浮仏; 倶留孫仏; 倶那含牟尼仏; 迦葉仏; 釈迦仏)の転じて天の七星(貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍)とあらわる。地神五葉(天神七代に続き、神武天皇以前に日本を治めた5柱の神。天照大神・天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・ 草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は現在の四佛(宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音)に遮那(大日如来)を加増して五佛となす。化して地の五行神(土神=ハニヤスヒコノカミ ・火神 =カグツチノカミ・金神=カナヤマヒメノカミ・水神=ミズハノメノカミ ・木神=ククノチノカミ)となる。供奉の十六葉の大神大小尊は賢劫の十六尊なり。おもうに昔因地にいまして菩薩の道を行じたまふ。時に千たび生まれ、萬たび生まれて百葉より百世を重ね千千に旦って國を守ります神に座ます。・・」)
この故にや唐朝に流布せしはしばらくのことにて、則ち日本に留まりぬ。
また「相応の宗」なりと云ふも理(ことわり)にや。大唐の内道場に准じて宮中に真言院を建つ〈もとは勘解由使の庁なり〉。大師奏聞して毎年正月この所にて御修法あり。
国土安穏の祈祷、稼穡豊饒の秘法なり。また十八日の観音供、晦日の御念誦等も宗によりて深意あるべし。(仁寿殿観音供とは「御本尊」と呼ばれる天皇の観音像に毎月十八日に真言僧が奉仕する仏事。起源は不明。宮中真言院晦日御念誦は「大の月には二十八日、二十九日、三十日の三カ日に修す。 小の月には二十七日、二十八日、三十日の三カ日に修す。 (『御修法の起源及沿革』)」
三流の真言いづれと云ふべきならねど、真言をもて諸宗の第一とすること、もむねと東寺によれり。延喜の御宇に綱所の印鎰(いんやく)を東寺の一の阿闍梨に預けらる。仍りて法務のことを知行して諸宗の一座たり。・・・
菩薩・大士も(それぞれに)司さどる宗あり。わが朝の神明もとりわき擁護し給ふ教へあり。一宗に志しある人、余宗を謗りいやしむ、大きなる誤りなり。
人の機根も品々なれば教法も無尽なり。況んやわが信ずる宗をだにあきらめずして、いまだ知らざる教を謗らむ、極めたる罪業にや。われはこの宗に帰すれども、人はまた彼の宗に心ざす。共に随分の益あるべし。
これ皆、今生一世の値遇にあらず。国の主ともなり、輔政の人ともなりなば、諸教をすてず、機をもらさずして得益の広からんことを思ひ給ふべきなり。」