観音経の功徳
観音経は法華経二十八品のうち第二十五番目にかかれています。法華経は十四品までを迹門といいお釈迦様が説かれたもの、十五品以降を本門といい法身佛が説かれたものということですからこれは法身佛が説かれたものになります。
観音経そのものが正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」というように「観世音菩薩」が「普門」(あらゆるところ)示現されて衆生済度をされるというお経ですからお経そのものが観音様の功徳を書いてあります。(実は観音様とは自分自身でもあるのですから「普門」は当然ではあるのですが・・・)。
天台大師智は「摩訶止観」で、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)救済の六観音を説き、「観音玄義」で観音様と衆生は元来一つである述べ、入滅に際しては、観音さまの来迎をうけて往生されたと伝えられています。
日本仏教の祖、聖徳太子は「法華義疏」の中で観音様が種々の肉身を現して衆生済度することを説いています。親鸞聖人は聖徳太子を観音様の化身と呼んでいます。
今昔物語巻十六には観音様の霊験が四十ばかり集められています。例えばその中の第一話 は「僧行善観音の助けによりて震旦よりかえりきたれること」というもので仏法のため 高麗にわたった僧が唐との戦にまきこまれて兵におわれ河を渡ろうとするが橋も船もなくこまって観音様を念じると突然老翁が操る船がきて渡してくれるがそのあと船、翁ともに消えてしまいます。「行善これ観音のたすけたまふなりけり。とおもひて・・観音の像を造り奉りて供養して日夜に恭敬したてまつること限りなし。」とあります。第十六話としては有名な蟹満寺の縁起があります。「山城の国の女人、観音の助けによりて蛇の難を逃れること」と言う題です。日頃観音経を読誦し観音様を念じていた女性が道で蟹を助けます。一方、ふとしたことでこの女性は大蛇にみいられ家を襲われますが僧がきて「玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃・・」等と唱えよと教えます。そのうち多くの蟹が現れ蛇を退治し女性を助けたと言うものです。「その後、蛇の苦を救い、多くの蟹の罪報を助けんがために・・その上に寺を建て・・」これが蟹満寺であるとしています。第二十五話は「島にはなたれし人、観音の助けによりて命を存したること」というもので悪人により無人島にとりのこされた大隈の掾という人が無人島でも毎日観音経をあげていたところ突然釣り船が来て助けられたという話です。
道元禅師も中国からの帰途、船が暴風雨に逢うが観音経を読誦し助っています。
「坂東観音霊場記」の著者亮盛も桑名沖で時化にあい遭難しかかったとき観音経をあげ坂東を巡り霊場記をあらわすことを観音様に誓約して難を逃れています。
白隠禅師は「辺鄙以知語」で「(観音経を)読誦する人 、僧俗男女をえらばず、或は難病を治し、或は災難を遁れ、あまつさへ読む人必ず長寿を得。」と説いています。
高村光雲は浅草の観音様をおまいりして仏師になる決意をしています。
熊平金庫(広島)の熊平源蔵氏は日頃信仰する観音さまのおかげで8月6日にさまざまなハプニングがおこり電車を遅らせたおかげで原爆にあわなかったと「わたしの観音霊験記」に書いています。
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妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
爾時無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌仏向。而作是言。世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。
爾の時に無尽意菩薩、即ち座より起って、偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向いたてまつりて、是の言を作さく、世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる。
「その時、尽きることのない求道の意志を持つという菩薩である無尽意菩薩(むじんにぼさつ)が座から立ち上がり、体にまとっているきれの右の肩の方をはずして右の肩と腕をあらわにすることで尊敬とまごころを表わし、合掌しながらお釈迦さまにおうかがいしました。
「お釈迦さま。観世音菩薩は、どういうわけで観世音菩薩という名前がつけられているのでございましょうか。」 」
仏告無尽意菩薩。善男子。若有無量百千万億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心名称。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。
仏、無尽意菩薩に告げたまわく、善男子、若し無量百千万億の衆生あって 諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん。
「それに対して、お釈迦さまがお答えになりました。
「それはこういうわけです。世の中の数え切れないほど沢山いる人々が、いろいろな苦しい目にあっている時に、この観世音菩薩の功徳の有難さを聞き、一心にその名を称えれば、観世音菩薩は間髪を入れずその声を聞き取り、苦悩から救ってくださるからです。」」
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若有持是。観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩。威神力故。
若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、 設い大火に入るとも火も焼くこと能わじ、是の菩薩の威神力に由るが故に、「もし、この観世音菩薩の名を称えれば、燃えさかる大火の真ん中に飛び込んで行っても、決して火はその人を焼くことはできないでしょう。それは、この菩薩の持つ威神力のおかげなのです。」
若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。
「あるいは、洪水に押し流されていたり、大海を漂流していたりしても、この観世音菩薩の名を称えれば、ひとりでに浅い所に流れ着くことができるでしょう。 」
若有百千万億衆生。為求金銀瑠璃。しゃこう。碼碯。珊瑚琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風。吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有。乃至一人。称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱。羅刹之難。。
若し百千万億の衆生あって金・銀・瑠璃、しゃこう、碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるを為て大海に入らんに、仮使黒風其の船舫を吹いて、羅刹鬼の国に飄堕せん。其の中に若し乃至一人あって観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。「 あるいは、たくさんの人々が、七宝として貴ばれている金、銀、瑠璃という青い宝石、シャコという美しい大きな貝、珊瑚、琥珀、真珠などの宝物を求めて、大海原に乗り出して行ったとしましょう。その時、急にあたりが真っ暗になってひどい暴風が吹いて来て、船が押し流されてしまい、羅刹の住んでいる島へ漂着したとします。そのような危機に際して、もし中に一人でも、観世音菩薩の名を称えるものがいたならば、全員が羅刹の危機から逃れることができるのです。」