憎い人の幸せを祈ると必ず相手が変わること・・2
いままで経典では怒らないという消極的方面を強調してきました。
・十善戒に不瞋恚戒があります。又六波羅蜜に忍辱波羅蜜があります。怒らない耐え忍ぶという否定形で説いています。
法句経五にも有名な句があります。「怨は怨によって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨を解くことを得る。これ不変の真理なり。 戦場において、数千の敵に勝つよりも、己に勝つものこそ、最上の戦士なり・・・。 もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行い、己の心を浄くす。これ諸仏の教えなり。」
釈雲照師の「十善業道教講義」でも
「「世を乱し身を亡すも 皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、一子の慈悲を運ぶべし」我等衆生無始劫より以来三界の苦海に沈淪して常に生老病死の為にせめらるるは、もと此貪瞋二種の所為に由らざるはなし。此貪瞋の煩悩は諸の愚痴邪見の煩悩による。愚痴邪見の煩悩は何によって起こるかとなれば、宇宙の真理を知らざるによる。宇宙の真理は如何なる形かと謂うに所謂、無我・無自性にして衆の因縁の仮和合によりて成立するものにして一法として自然独立なるものなし。然るに我等此無我・無自性の萬物に向かって我有我名(自分のものだ)の固執を成し、為に我見我慢の煩悩を起して止むことなし。
経には「刹那に作るところの罪、無間に堕す」と誡めたまへり。梵網経には「一切の男子はこれ我が父、一切の女子は是れ我が母なり。我生々に之に従って生を受けずといふことなし。故に六道の衆生は皆これ我が父母なり。」と説示したまへり。誠に惟れば一切衆生は無始より以来三界六道に輪転して親となり子となり夫となり嫁となりて其の関係する所実に広大なり。故に今日飼うところの犬猫牛馬等是我が前世の父母なるや、また我が子弟たるや、我また彼が妻夫子、奴僕なりしや、と 若し能く深くこの理を領会して日夜面前に対する男女は皆是我が生生世世の父母なることを憶いて努めて慈心を行じ自ら十善道に随順せしむべきなり。」(十善業道教講義・釈雲照)
とあります。
しかしこれらはいずれも我慢を強いているようで今一つ現代人は納得しにくい気持ちになります。そこで更に進んで相手を拝むことの大切さを次回説きます。
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