『吾妻鏡』によれば、1253年(建長5年)11月25日、建長寺の落慶供養が行われています。時頼が創建し蘭渓道隆を初代住職として招いています。
『吾妻鏡』です。「建長五年(1253)十一月小廿五日庚子。霰降る。辰尅以後小雨潅ぐ。建長寺供養也。丈六の地藏菩薩を以て中尊と爲す。
又、同像千躰を安置す。相州殊に精誠を凝ら令め給ふ。
去る 建長三年十一月八日 事始有りて、已に造り畢之間、今日梵席を展べる。願文の草は前大内記茂範朝臣。淸書は相州。導師は宋朝僧 道隆禪師。又、一日の内に五部の大乘經を冩し供養被る。
此の作善の旨趣は、上は皇帝万歳を祈り。將軍家及び重臣の千秋・天下太平。下は三代の上將・二位家并びに御一門過去の數輩の没後を訪ひ御うと云々。」