福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その1

2018-03-01 | 諸経
「・・善心が強かったら、たった一つの善によっても極楽に行ける。極楽に行けぬまでも生々世々五百生の間、乃至無量世の間、一の道徳をして福徳長者になれる。一の不殺生戒を保つと少しも身体に病がない。幸福を受ける。一の不邪淫戒を保つとそれがために五百生乃至千五百生の間、妻子眷属に難儀をすることがない。自身の戒法の勢力は五百生乃至千五百生の間生々世々受けるじゃ。

十悪も又そのとおり。強い悪心を以てものを殺すと、先ず地獄に五百生、次に餓鬼畜生に生まれて五百生、それから悪の罪が大方消えてしまって人間に生まれてくる、人間に生まれてきても尚ほ業の余勢力が残っておって、病身で寿命が短い。偸盗といふても強い悪心を以て人の財産を盗むと五百生乃至千五百生の間、人に使われて貧乏でしかたない。金を儲けたと思っては失い、金をためかてたと思えば女房や子供に使われてしまう。それは今のように人の財産を掠めておいた報いでそうなる。

・・・だんだん人間が不道徳になると畜生や餓鬼から生まれて来た、そんなものの社会になる。何でなるかというに悪の者ばかり生まれる故じゃ。善を勧めるとその子より其の孫、其の孫より其の曾孫とだんだん善人道徳のある人が出てきてついにはこの世が高天原の如く、極楽の如くなる。ああ怖いこと、一人善業を作ると社会一統善業を作るようになる。上に立つ国王大臣長者豪農商というものが善心に赴くと社会一統の風俗が治る。こういう道理が十善戒の功能じゃ。それを強く信じたならば善ほど楽しいことはない。悪ほど怖いものはない。昨日もある家の子が病気で十善戒を授けた。それが治ったと礼をいふてきました。その通り十善戒は功能がある。・・備中で毎日授けたときは日に百人も二百人も来た。病人や懐胎したものも来た。其の産をするものがことごとく安産したことは私の力ではない。十善戒を信じる力じゃ。十善様の力である。十善戒は持たねばならぬ。因果の真理は真理であると信じたらそれだけ功徳がある。御仏がそれだけの功徳があると信じたら利益がある。・・」
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