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史料綜覧 巻七 / 永享四年(1432)十一月九日条
「九日・・・山城醍醐天皇山陵 大和聖武天皇御廟 及ビ将軍塚(注1)鳴動ス」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
(注1)ウキぺデアに依れば、将軍塚は、京都府京都市東山区の東山(桃山丘陵)の稜線上、華頂山の山頂にある。8世紀末、桓武天皇が平安京造営に際してその鎮護のため、高さ8尺の土人形に甲冑を着せた「将軍像」を埋めた塚を造るよう命じたとされる。その後、天下異変の前兆としてこの塚が鳴動するという伝説が生まれた。たとえば、源平盛衰記によれば、源頼朝挙兵(治承・寿永の乱、1180年)の前年7月には三度にわたってこの塚が鳴動したとされる。
確かにこの後、
永享5年 永享の山門騒動
永享7年 和賀の大乱、とこの頃にしては大乱が続いています。