信仰の無償性、亀井勝一郎
「・信仰途上における最大の誘惑は自分一人だけ一足先に救われようとする焦燥感であろう。・・もし本当に無常に徹したならば無我になりうるはずだ。人は他のすべてに対しては無常の観念をもって臨みうるけど、己に向かってはそれを厳しく適用しない。他に対しては鋭く懐疑的でありながら己については甘い。自分の頭脳をみれば百鬼夜行の如くである。その様々の妄想を神が照覧するならば捧腹絶倒したまうであろう。あらゆる煩悩の中でもっとも捨てがたいものは自己に関する幻想である。(まさに自分に対する執着程強いものは在りません。「懺悔」ひとつもまともに出来ない自分がいます。)・・どうしてこんなにたくさんの神や仏がいらしゃるのに、人間はいつまでも責めらるる存在に止まるのだろう。(古来「天道是か非か」・・は永遠の課題です。)・・他の犠牲において生くることは罪悪だ、(一方)自分が(他者の)犠牲になることは容易なことではなく、只苦しい思いのみ残る。だがこのいずれ(他者を犠牲にするか、自己を犠牲にするか)をも拒否しようとするならば我々は人生そのものを拒否しなければならぬ。人生を拒否することは神の与えた課題に答える所以ではない。近頃私は忍耐こそ最上の美徳であると思うようになった。・・
最終にしてかつ永遠の課題・・「神の実在」はいかにして証明されるか。人生苦の深さより発して見得ざる所で慟哭と祈りに一切があるであろう。そこにのみなにものかが在す。名を言うことも説き明かすことも出来ないが感じることはできるという世の深さ、何人もこれを奪うことは不可能だ。・・だがこの言葉に於いてもなお心を安んじえないのである。・・慟哭と祈りにもかかわらず人間の救いは保証できぬという冷酷な課題は無限の懐疑をもたらす。救いの定かならぬところに何故神仏を唱えなければならぬのか。祈りつつも私はこの不安から免れえない。祈りの永遠である如く、苦悩もまた永遠であるのか。・・しかもなお神は在るとためらいなく私は断言したいのである。・・神を信ずるものは奇跡を信ずるものである。奇跡に於いてはじめて神はありと断言しうるというのはほんとうであろう。だが奇跡とはそもそも何か。あらゆる宗教にそれは必至であり、また祈りの代償の如く考えられている。事実、信深きゆえに肉体の復活したものは在る、危難を免れたもの、生くる光明を得たもの、あるいは石が変じてパンとなるという。そのまま認めてもいい。・・だがここでも私の心は決して安んじえないのである。なぜただ一人にのみ復活は許されるのか。・・・赦されざるもの、呪われたものの惨苦は誰が背負うのか。・・かく救われざる者の裡にあらわれる奇跡・・・もし起こり得るとすれば神の強力な普遍性を證明する場はおそらくここ以外はあるまい。・・(基督はおのれの死に面してついに奇跡が起こらなかった所にかれの永遠性を得た。)ひとは奇跡ゆえに必ずしも彼を愛したのではない。奇跡のない無慙な死によって彼を愛したのである。わたしにはこれが人間の具現した最大の『奇跡』のように思える。・・死せるものはふたたびよみがえらない。いかに慟哭し祈り心魂のかぎりをつくして叫べど死せるものは永久に地上を去る。それを知り嘆きのなす無きを感じてしかもなお慟哭をやめることがない、愛惜の涙が何になるかを誰も問わぬ。・・なんという驚くべき奇跡であろう。煩悩熾盛の凡夫すらかかる無償の行を具現するとは。
・・わたしはこれらのすべてを親鸞によって与えられた。親鸞よりうけた最も重大な教訓の一はこうだ。
・・一切の赦されざる者、呪われたるもの、その業苦の海に身を没し、最後の地盤に御身の足が確乎とつくように、そうなるまで沈んでいくがいい。なんのためにと問うなかれ、それが煩悩熾盛の衆生の運命である。・・神仏の実在を証明するものは生涯を賭けて御身が実証した人生苦自体である。無始劫來つきることのない、最低の地獄を継いで崩れざるも人柱たること、これを捨身という。・・永遠の徒労は永遠の生命を得る。(亀井勝一郎の最後のこの部分は聊か人生苦の真っただ中にいる衆生にとっては酷な気がします。。実際、ドロドロの人生苦を祈りによって救われている人は数限りなくいるのです。また奇跡による救いがなければ今日まで何千年も宗教が続いてきてはいません.
大日経には「霊験を示して次の段階へ導く(無相を示すと衆生は堪え得ないから仮に有相を示す)」とあります。。)
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