華厳経巻第六菩薩明難品第六「・・爾時文殊師利、徳首菩薩に問うて言く。『佛子よ。如來は
唯だ一法を覺る。云何んが乃ち無量諸法を説き、音聲は遍く無量世界に滿ちて、悉く能く無量の衆生を教化し、無量の聲を出し、無量の身を現じ、無量の衆生の心意を了知し、無量の神足自在を示現し、無量無邊世界を示現し、無量の殊勝莊嚴を示現し、無量の種種の境界を示現したまふや。而も法性は分別しても實に不可得なり。』
爾時徳首菩薩。偈を以て答へて曰く
『 佛子、乃ち能く甚深微妙の義を問へり。
智者若し此を知れば 常に樂ひて功徳を求めん。
猶ほ地性は一なれども 能く種種の物を持し、
一異を分別せざるが如く 諸佛の法も如是なり。
猶ほ火性は一なれども 能く世間の物を燒き、
火性に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大海の水は 注ぐに百川流を以てするも
其味は別異なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ風性は一なれども 一切物を吹動し、
風性に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ龍の雷震して 普く一切地に雨ふらすも、
雨に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大地は一なれども 能く種種の芽を生じ、
地性に別異なきがごとく、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ日の雲翳なきがごとく、 普く能く十方を照らして
光明異性なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ空中の月は世間に見ざること靡けれども、
一切處に至るに非ざるがごとく、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大梵王は 普く大千に應現すれども
其身に別異あることなきがごとく、 諸佛の法も如是なり。』
唯だ一法を覺る。云何んが乃ち無量諸法を説き、音聲は遍く無量世界に滿ちて、悉く能く無量の衆生を教化し、無量の聲を出し、無量の身を現じ、無量の衆生の心意を了知し、無量の神足自在を示現し、無量無邊世界を示現し、無量の殊勝莊嚴を示現し、無量の種種の境界を示現したまふや。而も法性は分別しても實に不可得なり。』
爾時徳首菩薩。偈を以て答へて曰く
『 佛子、乃ち能く甚深微妙の義を問へり。
智者若し此を知れば 常に樂ひて功徳を求めん。
猶ほ地性は一なれども 能く種種の物を持し、
一異を分別せざるが如く 諸佛の法も如是なり。
猶ほ火性は一なれども 能く世間の物を燒き、
火性に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大海の水は 注ぐに百川流を以てするも
其味は別異なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ風性は一なれども 一切物を吹動し、
風性に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ龍の雷震して 普く一切地に雨ふらすも、
雨に分別なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大地は一なれども 能く種種の芽を生じ、
地性に別異なきがごとく、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ日の雲翳なきがごとく、 普く能く十方を照らして
光明異性なきが如く、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ空中の月は世間に見ざること靡けれども、
一切處に至るに非ざるがごとく、 諸佛の法も如是なり。
猶ほ大梵王は 普く大千に應現すれども
其身に別異あることなきがごとく、 諸佛の法も如是なり。』