聖人も凡情は催すが自己の本源を自覚してすぐ本に回復する。
「聖も人也。狂も人也。
・・ただ聖たる所以のものはその自性を見得して明白なるを以てなり。喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲の情、時に或は発すと雖も直ちに真浄明妙、一枚の大光と作して受用す。
其の狂たる所以の者は、自に其の性の明潔を知らず、故に利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の風に漂溺せられ、七情交々相攻め、未だ始めより窮り有らず、卒に自己本有の光輝を昧没す。是をもって悟と迷と分かれ、聖と狂と別る。(禅海一瀾・今北洪川)」
「聖も人也。狂も人也。
・・ただ聖たる所以のものはその自性を見得して明白なるを以てなり。喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲の情、時に或は発すと雖も直ちに真浄明妙、一枚の大光と作して受用す。
其の狂たる所以の者は、自に其の性の明潔を知らず、故に利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の風に漂溺せられ、七情交々相攻め、未だ始めより窮り有らず、卒に自己本有の光輝を昧没す。是をもって悟と迷と分かれ、聖と狂と別る。(禅海一瀾・今北洪川)」