福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

般若心経の霊験

2019-06-08 | 先祖供養
般若心経の霊験
 
・お大師様の「般若心経秘鍵」には「(般若心経を)誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(般若心経を読誦すれば抜苦与楽し、意味を考えれば覚りを得、真理を体得できる。即ち現世利益も覚りもともにいただけるということです。)
 
・訳経者の玄奘三蔵自身が印度への求法の旅の途中で悪鬼に襲われたとき般若心経を唱えて救われたとあります(大慈恩寺三蔵法師傳)
 
 
・「良家の男子にせよ女子にせよ、この知恵の完成を書きしるして、みずからも唱え、他人のためにも書きしるして与えるとしよう。彼は、(無数の有情を禅や神通に定着させる)良家の男子や女子よりも、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。さらにまた、良家の男子や女子が、意味に通暁してこの知恵の完成を唱え、前の人と同じように、他人のためにも書きしるして与え、その意味文字とともに説明し、解釈してやるならば、カウシカよ、その良家の男子や女子は、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。『八千頌般若経』
 
・『金剛般若経』」には「さて、スブーティよ、女子にせよ、男子にせよ、朝のあいだにガンジス河の砂の数に等しい自己の身体を喜捨し、同様に、朝の間にもガンジス河の砂の数に等しい身体を喜捨し、夕刻にもガンジス河の砂の数に等しい身体を喜捨するとしよう。このようにして、百・千のコーティ・ナユタ(無数)という多くの劫のあいだ、身体を喜捨しつづけるとしよう。他方、この法門を聞いて、(それを)謗らないものがいるとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より多くのはかりしれない無数の功徳を集積するであろう。まして般若心経を書写して把握し、記憶し、読誦し、理解して、さらに他の人々にくわしく説明するものはいうまでもない。」
 
・古来心経は障碍の除去、とくに除病に効くとされてきました。天平時代、国家の平安を祈り聖武天皇と光明皇后が書写された「隅寺心経」は今日でも『般若心経』写経のお手本とされています。宝亀4(773)年には疫病が蔓延したので告示が出されました。「それ摩訶般若といっぱ諸仏の母なり。天下これを念ずれば兵戈災害も国中におこらず、庶民これを念ずればすなわち疾疫霊癘鬼も家内に入らず。この善利によって・・よろしく天下に告ぐべし摩訶般若を念ぜよ。」(般若心経を念ずれば国には平和が訪れ、庶民は病気や不祥事から逃れることが出来る。般若心経を念じなさい。)というものです。その後疫病はたちまち止んだといいます。
 
・またお大師様の「般若心経秘鍵」には「ここに帝王、自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し 奉りたもう。 予、講読の選にのっとって、経旨の宗をつづる。いまだけ結願の言葉を吐かざるに、 蘇生の族、途に佇む。夜 変じて、日光赫赫たり。これ愚身が戒徳にあらず。金輪 御信力の 所為なり。(弘仁9(818)年の大疫にも嵯峨天皇が般若心経を写経されたので病気が治ったひとびとが道に佇んだ。)」とあります。
嵯峨天皇を始め、後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇などは宸筆写経をされ、現在でもこれらは京都大覚寺内の勅封般若心経殿に納められています。
 
 
・当麻寺の中将姫は1000巻の写経(浄土経)の功徳によって、極楽浄土を感得され国宝・綴織當麻曼荼羅を刺繍されたとされます。http://www.taimadera.org/history/p2.html
 
・塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願しました。そしておかげを受けて41年かけて見事、文政2年(1819)74才で『群書類従』全670冊を刊行しています。温故学会ホームページには「明和8年(1779)34才、『群書類従』の出版を決心し、天満宮に祈願する。以後千日間、毎日『般若心経』百巻を読んで、『群書類従』の完成を期す。」とあります。
 
・妙極堂教戒(浄厳)は「なぜに般若をもって法楽となすや、かの如来などはみな般若の威力によって生ずるが故に、諸天などはみな般若の威力によって生ずるがゆえに、般若を聞くときに往恩を報ぜんがための故にきたりて護持をなすなり。」といっています。佛菩薩神々みな般若心経によって法楽を得るので心経を唱えるところには必ず来てくださり助けてくださるということです。
 
 
・平成18年1月4日付産経新聞に「認知症予防の効果立証、写経で脳イキイキ」とする記事がありました。概要です。「川島隆太東北大教授と学研の共同調査で、平成15年から翌年にかけて仙台市内の高齢者延1千人を対象に、オセロゲームやクルミ握り、はり絵、あやとりなど高齢者の脳の活性化に役立つとされる160種類を実験したところ、写経が前頭葉、頭頂葉の左右いずれも最高の活性化数値プラス3を示した。百人一首書写はプラス2を示し、オセロゲームは前頭葉にマイナス3の数値を出した。・・」とありました。・・・・
 
・10年以上前ですが、うつ病で入院中の人にボールペンで病床写経をしてもらいました。医者も看護師さんも病院で写経する人は見たことないと驚きましたが2週間も続けると重いうつ病も嘘のように回復し退院しました。
 
・「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。
「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)にあい意味を学んだ。
まず、最初の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」のところではっとした。
「度一切苦厄」とは一番欲しかった言葉だった。そしてそのためには「照見五蘊皆空」でなければならないとある。ここですべてが「空」であると覚れば一切苦厄から救われるのである。 ではどうすれば「空」を覚れるのかそれは其の前の「般若波羅蜜多時」を深く行じた時である。ここで般若波羅蜜多とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜すべてを指すものなので此の代表として私は布施波羅蜜多を行じようと思い立った。 僧侶として布施できるものは『法』しかないとおもい各宗派の高僧にきてもらい苦しみ
真只中の58年に「金沢南無の会」を立ち上げた。この会を続けていくうち、各宗の高僧の法話と聴衆の鋭い質問に自身も広く新しい世界に踏み込めた。写経するようになり其の中で無限に広がる仏様の世界に身を委ねることができるようになった。自殺を考えていた過去が遠い夢の中のように思える。」
 
・最後に自分自身の経験ですが何年も心経読誦・写経を毎朝続けています。四国霊場にも寺寺に3度以上心経を奉納しました。寺にも入らず修業らしい修業もできてないのでこれだけはとこころに決めて続けています。おかげでいろいろな願いがどんどん成就するとともに、心経の意味がすこしずつ分かりかけてきました。本当にすごいおかげがあり、そしてすごい事が書いてあるお経です。神仏が読むとお喜びになるはずだということも感じられるようになりました。そしてこのお経が作られた動機はまさに日々苦しむ衆生をいかにして救ってやるかという仏様の大慈悲によるものであるということも感じられるようになりました。「度一切苦」「能除一切苦」と短いお経の中で二度も「苦」をすくってやるぞとおしゃっているのです。個人も国も救われないわけがありません。
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