・・われらは何故に無始よりこのかた生死に迷沈し法性の真理をさとらなったのか?またこの三界六道十界の差別は何によりて生じ何者が造ったのか?・・という疑問がある。空であればなにものも生じないはずであるがじつはこの「空」のなかに無尽の功徳を含有しているのである。それは恰も虚空は青々としていて何もないように見えるが陰陽五行ありて万物を生長し、日月星辰ありて天地を輝かしているのみならず、さらに進んで三界二十八の天堂有情非情の福徳富饒を含有している。
しかし「空」は虚空の比でないくらいに無限の功徳を中に含んでいる。
しかるに凡夫は自ら我名我有に執着して三毒五欲(貪・瞋・痴、色欲・食欲・睡眠欲・名誉欲・財欲)のために縛られ自ら小さい天地を造り上げ無量の劇苦を受けているのは、あたかも蚕が自分で糸を吐いて繭を作りそのため熱湯で茹でられるようなものである(注1)。世尊はこういう凡夫を憐れんで三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)により小涅槃の休憩所をおつくりになったのは法華経の三百由旬の化城(注2)のようなものである。
(注1、大日経疏に「・・煩惱故に種種の業を起こし、種種の業により
種種の道に入り、種種の身を獲、種種の苦樂を受く。蠶の絲を出し、因るところ無きが如し已に從って出し、自ら纒裹し、燒煮される苦を受く。譬へば人間の淨水の如し、天鬼の心に隨って或は以って寶となし、或は以って火と爲す。自の心で自ら苦樂を見る。・・」
(我々は煩悩により業をつくり業によりさまざまな苦しみを受ける。これは蚕が糸を勝手に自分の周りに張り巡らせ繭に閉じこもるように勝手に硬く迷いの殻に閉じこもっている。外にはなんともいえない有難い世界が展開しているのに全く見ようとしない。そしてついに蚕も其の糸をとる為に熱湯に投げ込まれるように迷いの殻に閉じこもっている我々も熱湯に投げ込まれることになる。これらはすべて自らの心による。・・)
とあります。
(注2、法華経・化城喩品にある話。宝処に向かって五百由旬を旅する人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れてしまった。そこでその中の導師が、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた・・というもの)
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