問う、仏教は戒定慧の三學を修練して無漏の聖智を開発し声聞縁覚および無上仏道の悟りを得て涅槃の真理に帰入するとするものではないのか?いまこのように十善十悪三世因果応報のような理論を仏教の大原理となすことは(因果から抜け出そうとする仏教にとって)自家撞着ではないのか?
答え、(結論は、「この十善十悪三世因果応報の原理を密教・顕教を問わず、また地獄界から仏界までもこれから離れられないのであるからこれが仏教の大原理である。」というものです)『首楞厳経』に「十界は循業発現の境界なり(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・佛の世界はそれぞれ業が因になり果になり無限に循環して現れた世界である)」とある。それ業に十善十悪の区別あるがゆえに結果に三界六道(注)苦楽の差別を生ずる。これを有漏の世界という。有漏とは漏失の義にして煩悩過失は過誤漏失の義であるから有漏という。これらは我痴我慢の煩悩のうえに為す善悪であるから、「迷中の善悪は是非ともに非なり」というようにこれを有漏の十善十悪の因果という(ここまでが、有漏の十善十悪により出現する、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の世界)。
次にこの我痴我見の煩悩を断じて無我無漏の真智をもって修練する善法功徳を無漏という。無漏とは煩悩の漏失を離れて清浄であるという意味。この無漏の善根功徳によって声聞・縁覚に生ずることになる。声聞は四諦(苦集滅道)の因果を観じて阿羅漢果を生じるもの。縁覚は十二因縁を観じて縁覚の位に生じる。
次に大慈大悲を本として六度万行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)すなわち無漏清浄の十善を修して一切衆生を利益する因縁を以て菩薩界に生じる。
次に十善十悪因果応報の体性もとになっている真理たる中道実相の真理を証し、遍く法界の衆生を利益するをもって佛界に生ず。
以上原因の業に三悪(これにより地獄餓鬼畜生に生ずる)三善(これにより修羅・人・天に生ずる)無漏(これにより声聞・縁覚となる)慈悲(これにより菩薩となる)実相(これにより佛となる)の有漏無漏各上下の細別ありといえども畢竟するに十善十悪因果の真理を離れたることなし。ゆえに首楞厳経に「十界は循業発現の境界なり」と説示したまへるなり。
注)三界とは欲界色界無色界。欲界の中に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道があり、色界無色界には天人のみが住む。
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