藤吉地蔵様のこと
「観音の霊験」中根環道(明治・昭和期の教育家、曹洞宗僧侶。鶴見大学理事長兼校長、駒沢大学学長)の本に死刑囚も観音様のお導きで大往生しお地蔵様になったという不思議な有難い話が載っていました。
要約すするとこうです。
当時一世を風靡した大博徒の武部申策から聞いた話として以下の様に書いています。
「昭和7年滝野川で強盗殺人を犯し死刑宣告を受けた藤吉という男がいた。どういう訳か自分が博徒であるということからか獄中から、死を前にして自分に縋りたいと手紙をよこした。そこで十円を送ってやったが、すぐに数珠や経帷子等死出の旅路に必要な支度一式を整え残り8円50銭也といって其の明細を送ってよこした。これは見所のある奴とおもいその後刑務所を訪問して「懺悔をすれば仏さまは助けてくださる。これから刑の執行まで一心に信仰せよ」というとそれまでの傲岸な顔つきが打って変わったようになり、「わかりました」という。
その後も訪問して「お前は自分(武部)のことを恩に着て草葉の陰から祈っているというが、本当か。本当に私の為に祈る気持ちがあるなら、下野の出流山の前に地蔵を建てて藤吉地蔵として末永く祀ってやるから世の苦しむ人を助けてくれ。それができるか」というと、「できます」という。
その後、昭和8年3月市谷刑務所から刑が執行されたとの電報が届いた。行くと死刑執行人が感心していた。執行前に藤吉は「私のような者でも信仰によって清らかなものとなることが出来ました。どうか悪人を善い方へ導いてください」いい、一通の遺書を書いたという。それには「吾が心 今より後は 出流山の地蔵となりて 人を導く。 藤吉。 武部申策様」とあったという。
藤吉は死刑執行直前になると正座して観音経を朗々と読み、その後右手に数珠、左手に観音経をもち死する事帰するがごとくであったという。
その後私が帰宅して夜半二時ころ観音経をあげていると、バタバタと音がした。その瞬間凍り付くような寒気がしてぞっとした。右手を見ると私にお辞儀をしている者がいる。「藤吉きたのか」というと、最早姿は見えなくなった。藤吉はいまも出流山の藤吉地蔵として善男善女のお参りが絶えない」
福聚講でも何度も坂東17番満願寺をお参りしていますが藤吉地蔵様には気が付きませんでした。
しかし昭和46年発行の清水谷孝尚浅草寺貫首様の「観音霊場坂東札所めぐり」には「十三重の塔、藤吉地蔵などを廻拝」とあるので知る人ぞ知るお地蔵さまであったのでしょう。今も
ネットでは「出流弁財天、清滝稲荷、藤吉地蔵、 先々代墓所、女人堂をお参りして奥ノ院を目指しました」等とでていますから藤吉地蔵さまは今も知る人はちゃんとお参りしているようです。わたしも再度機会があればお参りしたく思いました。
それにしても死刑囚でもちゃんと死んで人の役に立とうとすれば大往生できるのです。われわれ高齢者は本当に見習うべき覚悟です。
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