福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

両部神道論 その1

2014-10-09 | 法話

1、 奈良時代
聖徳太子が仏教を中心にして神道、儒教をこれに調和させようとした思想は以後の日本の思想の基本となった。役小角、越の泰澄等は「神は仏法の擁護者であり、神々は佛諸天の仮の現れなり」として修験山伏道を開いた。元正天皇霊亀元年(715)藤原武智麿(藤原一族の先祖)は気比神社(福井県、気比大神を祀る。『気比宮社記』によれば、神代よりの鎮座で、仲哀天皇が自ら神前に三韓征伐を祈願し、征伐にあたっても皇后に玉妃命・武内宿禰を伴って当宮に戦勝を祈願させ、その時気比大神が玉妃命に神懸かりして勝利を予言したという。)境内に神宮寺を建立、若狭比古神社にも神宮寺を建立している。聖武天皇神亀二年(725)には宇佐八幡宮の託宣により宇佐八幡の境内に薬師寺・弥勒寺を建立している。行基は天照大神の御心なりといい東大寺を建立、天照大神の本地は大日如来なりとした。また大仏開眼のおりには宇佐八幡の分霊を東大寺に遷し鎮守としている。これより神前読経、納経、仏舎利の神社奉納があおこなわれるようになった。・・
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