因縁
第三節ささえあって
一、ひとびとの憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうしておこるのか。つまり、それは人に執着があるからである。
冨に執着し、名誉利欲執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。
はじめからこの世界にはいろいろの災いがあり、そのうえ老いと病と死とをさけることができないから、悲しみや苦しみがある。
しかし、それらもつきつめてみれば、執着があるから悲しみや苦しみとなるのであり、執着を離れさえすれば、すべての悩み苦しみはあとかたもなく消えうせる。
さらにこの執着をおしつめてみるとひとびとの心のうちに無明と貪愛とがみいだされる。
無明は移り変わるもののすがたに目が開けず、因果の道理に暗いことである。
貪愛とは得ることのできないものを貪って、執着し、愛着することである。
もともとものに差別はないのに差別を認めるのは、この無明と貪愛との働きである。
もともとものに良否はないのに良否を見るのはこの無明と貪愛との働きである。
すべての人々は常によこしまな思いを起こして愚かさのために正しく見ることができなくなり、自我にとらわれて間違った行いをし、その結果、迷いの身を生ずることになる。
業を田とし、心を種とし、無明の上に覆われ貪愛の雨で潤い、自我の水を注ぎ、よこしまな見方を増して、この迷いを生み出している。
第三節ささえあって
一、ひとびとの憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうしておこるのか。つまり、それは人に執着があるからである。
冨に執着し、名誉利欲執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。
はじめからこの世界にはいろいろの災いがあり、そのうえ老いと病と死とをさけることができないから、悲しみや苦しみがある。
しかし、それらもつきつめてみれば、執着があるから悲しみや苦しみとなるのであり、執着を離れさえすれば、すべての悩み苦しみはあとかたもなく消えうせる。
さらにこの執着をおしつめてみるとひとびとの心のうちに無明と貪愛とがみいだされる。
無明は移り変わるもののすがたに目が開けず、因果の道理に暗いことである。
貪愛とは得ることのできないものを貪って、執着し、愛着することである。
もともとものに差別はないのに差別を認めるのは、この無明と貪愛との働きである。
もともとものに良否はないのに良否を見るのはこの無明と貪愛との働きである。
すべての人々は常によこしまな思いを起こして愚かさのために正しく見ることができなくなり、自我にとらわれて間違った行いをし、その結果、迷いの身を生ずることになる。
業を田とし、心を種とし、無明の上に覆われ貪愛の雨で潤い、自我の水を注ぎ、よこしまな見方を増して、この迷いを生み出している。