福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日7月1日は「富士山開き」です

2019-07-01 | 法話
今日7月1日は「富士山開き」です。昔は富士山の山開きの陰暦六月一日(いまの7月1日)に富士講の講中として先達に導かれて集団登山したのを富士詣と称したとされます。また富士登頂を富士禅定といい、登山前には富士垢離と称し富士宮の浅間神社の湧玉池で水垢離を取り、白衣姿に鈴・金剛杖で「六根清浄、おやまは晴天」と唱えながら頂上に至ったといいます。富士登山の始めは平安末の末代上人といいます。
末代上人は『地蔵菩薩霊験記(室町時代)』には、「中古不測の仙ありき、末代上人とぞ言ける。彼の仙、駿河富士の御岳を拝し玉ふに、・・その身は猶も彼の岳に執心して、麓の里村山と白す所に地をしめ、伽藍を営み、肉身斯に納て、大棟梁と号して、当山の守護神と現れ玉ふ」とあり、富士山を信仰する修行僧で村山(現在の富士宮市村山)に寺を建立し、即身仏となって大棟梁権現(現・高根総鎮守)と号して富士山の守護神になったと伝えています。『駿河国新風土記(江戸時代)』では、「地蔵霊験記に見へたる…大棟梁と号し此山の守護神となるといへる社、今に村山浅間の傍に大棟梁権現の社あり」とあります。
『浅間大菩薩縁起』によると、「長 承 元 年〈 丑 子〉(1132年)四 月 十 九 日 、上人 末 代 、峯 に 登 り 、日 代上人 仏 経 奉納の 巌 窟 に お い て 、閼 伽 の 器 ・ 鈴 ・独 鈷 ・ 一尺 釼 一柄 ・ 金 二 両 を 置 き 奉 る。同年 六 月 十九 日 、ま た 釼 一柄 ・ 金 一両 を納め 奉 る 。同年 六 月云 々 。同二 年 四 月 五 日 、峯 に 登 り て 、如 法 経 一 部 十巻 を 埋 み 奉 る 。ま た 面 八 寸 の 鏡 に 地 主不動 明 王三尊像 を 鋳 顕 し 奉 る を 、彼 の 窟 に 安 じ 奉 る 。銘 に 曰 く「走 湯 山 の 住 僧 末 代上人 、生 年 二 十 九 、浅 間 大 菩 薩の 示 現 を 蒙 り て、当 峯 に 攀 る こ と 四 ヶ 度」と 。」とあります。『本朝世紀』には、「久安五年(1149)四月十六日、・・・駿河の国に上人あり、富士上人と号す、その名を末代と称す。富士山に攀登すること既に数百度に及べり、山頂に仏閣を構え大日寺と称す。・・五月十三日・・富士上人如法経を(鳥羽法皇より)賜り退出、是は駿河の国富士山に埋べき料なり。」とあります。
いずれにせよ日本の象徴である富士山は僧侶によって開かれ浅間権現として神仏一体の神体であったことがわかります。
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