福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日はマッカーサーが厚木に降り立った日

2024-08-30 | 法話


昭和20年8月30日はGHQの総司令官マッカーサーが厚木に降り立った日です。この背後には様々なドラマがあったようです。
「"敗戦日本"を守った男 安藤明の生涯―「厚木事件」撤去作戦の真相 (世界大戦文庫スペシャル (2))」という本があります。以下概要です。
「厚木事件というのがありました。戦後、海軍反乱将校達がマッカーサーの降り立とうとする厚木飛行場に立て籠もり、滑走路を使えない程残骸で覆ったのです。このことがGHQの知る所となり、これを止めないと「三発目の原爆を東京に落とす」と海軍は脅された、と言います。その中、海軍出入り業者の大安組組長・安藤明が海軍司令部の命を受け、決死の覚悟で飛行場を整備することになります。このとき本によると「安藤は(信仰する宿河原のお不動さんを訪れ)手短に厚木の反乱事件に巻き込まれてしまった経緯を説明し、この作業を受けるべきか、親さま(宿河原のお不動さん住職・関山盛衆師)の言葉を待った。親さまはやがて静かに言った、『終戦は天皇様がお決めになったことぞ、だったらやるだ、安藤さま、お前さんならきっとやれる。成功するだよ。そして日本を救うのだ。』安藤をこのお不動様に引き合わせたのは安藤の大安組と取引のあった宍倉商店の宍倉公義である。今日に至る迄、数々の事業に成功してきた安藤の背景には、他ならぬこの宍倉公義に紹介された「親さま」の存在があった・・・。その後、安藤は全国から1万人以上を集め、三日間で厚木飛行場を原状回復し、事なきを得た、三発目原発は落とされずにすんだ。
 さらに無事飛行場を整備し、厚木事件を解決した帰り、安藤がこの宿河原のお不動さんを訪ねたところ、親さま、(住職関山盛衆師)は、安藤に「天皇を助けよ」と託宣します。『天皇様が大変なことになるよ、お前が助けるのだよ、お前は天皇様とマッカーサー元帥を助けるのだよ・・お前がやるのだよ』。・・「親様(関山住職)は『やるか安藤』と叱咤した。『へへー』とびっくりして親さまを見上げると次の言葉が降ってきた。『おまえは天皇様を救うのだよ。日本を助けるのだ。よいかわかったか。』・・『近く天皇様にとってもマッカーサー元帥にとっても都合のいいアメリカ人にあえるだよ。その軍人とよく相談して協力してもらうだよ。そして日本を救うのだ』・・『安藤やるだ、必ず成功するだ。・・・しかし安藤、その後のお前には神も仏もない悲惨な結末が待っているだ。それをよく覚悟しておけ。』」
・・・
安藤はこのときの作業費250万円や松前重義等の支援を元手に、私財をなげうって築地に高級クラブ「大安クラブ」をつくり、毎晩GHQの将校達を接待漬けにし、「天皇制存続」を訴えたといいます。そして「親さま」の予言通り安藤は後日、GHQ要人のバーナード・フィッシャー中尉(ラフカデオハーンの信奉者)と知り合い、その縁で様々なGHQ要人対策を行い、ついに吉田茂を通じて天皇陛下とマッカーサーの会談を実現し、天皇制維持に成功したことになっています。なおこの本にはこの「親さま」の予言通りこの後、安藤はGHQに過度の接待工作をしたのではないか、という疑いをアメリカ本国からかけられ逮捕されそのため会社は潰れます。晩年は安藤はこのお不動さまの境内に住んだと書かれています。(なお、インターネットにはこういう話も載っていました。これはまだ安藤が羽振りの良かったころでしょうが、戦犯として東条英機氏以下6名が処刑された後、、安藤はトラックで巣鴨に行き、遺体を伊豆の富士山の見える山の頂きに埋葬した、ということです。富士山の墓は確認できたものではありませんが、愛知県三ヶ根に戦犯として処刑された7人の墓があり、岸信介が雄渾な字で「殉國七士廟」と揮毫しています。)

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