金剛智三蔵は、密教の根本経典である『金剛頂経』を中国に伝え、真言八祖の中では、「付法の八祖」で第五祖、「伝持の八祖」では第三祖とされます。
度唐したのは補陀洛山で観音さまより「唐に行き教えをひろめよ」との啓示を頂いたからとされます。中国では不空三蔵(「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖)や一行阿闍梨(「伝持の八祖」の第六祖)も、金剛智三蔵の弟子となり密教の弘通をしました。
お大師様の「秘密曼荼羅教付法伝」によると「第五祖、金剛智」として「南天竺摩頼耶国の婆羅門種なり。誕育霊奇にして神異あり・・三十一にして南天竺に往いて龍智と名つ゛くる年七百にしていまなお見に在るにおいて「金剛頂瑜伽経」および「毘盧遮那総持陀羅尼法門」・・を受學し、五部灌頂、諸仏秘密の蔵を受けて通達せざるということなし・・開元八年にいたり初めて東都に到る・・ここにおいて広く秘教を弘め、曼荼羅を建つ、法によって作成するにみな霊瑞を感ず。・・開元二十九年すなわち病を生ず。身の有にあらざるをさとって蝉の如くもぬけてはるかに挙しぬ。その年の八月十五日(七百四十一年八月十五日)証果す。・・」とあります。
度唐したのは補陀洛山で観音さまより「唐に行き教えをひろめよ」との啓示を頂いたからとされます。中国では不空三蔵(「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖)や一行阿闍梨(「伝持の八祖」の第六祖)も、金剛智三蔵の弟子となり密教の弘通をしました。
お大師様の「秘密曼荼羅教付法伝」によると「第五祖、金剛智」として「南天竺摩頼耶国の婆羅門種なり。誕育霊奇にして神異あり・・三十一にして南天竺に往いて龍智と名つ゛くる年七百にしていまなお見に在るにおいて「金剛頂瑜伽経」および「毘盧遮那総持陀羅尼法門」・・を受學し、五部灌頂、諸仏秘密の蔵を受けて通達せざるということなし・・開元八年にいたり初めて東都に到る・・ここにおいて広く秘教を弘め、曼荼羅を建つ、法によって作成するにみな霊瑞を感ず。・・開元二十九年すなわち病を生ず。身の有にあらざるをさとって蝉の如くもぬけてはるかに挙しぬ。その年の八月十五日(七百四十一年八月十五日)証果す。・・」とあります。