「横川首楞嚴院二十五三昧式 源信撰」
「右念佛三昧。往生極樂の爲め今日より始め各の命終期に至る迄、毎月十五日を以て一夜不斷に共に念佛を修し、願くは此の一夜の白業之善根を積み、將に滿月清涼之覺蘂に攀んとす。仍ち其名を注し僉議すること件の如し。
定起請
一。毎月十五日夜を以て不斷念佛を修すべき事
右六節日(令義解雑に「凡正月一日。七日。十六日。三月三日。五月五日。七月七日。十一月大甞日。皆節日と為す」)は是れ有情の類を愍むの日。三五夜亦無量壽を念ずるの夜也。其日此夜の念佛讀經は往生極樂の業と謂ふべし。豈に直至道場之因に非ざるのみならん哉、是れ以って吾黨、五更の夢を破り、三昧の聲を發し、一夜の眠を驚かし、二世の善を招く。
抑も未時(14時)に大衆集まり、申時(16時)に講經を修す。其迴向之後、將に起請文を讀むべし。酉の終(19時)に念佛始り、辰の初(午前7時)に結願竟る。同じく十二箇軸之經文を讀み、共に二千餘遍之佛號を唱ふ。經を盡す度毎に、迴向を唱ふべし。迴向の後、禮盤に還著し、偕一百八遍之念佛を稱へ、應に十萬億土之媒介と爲すべし。然後、大衆五體投地し彌陀如來を禮拜すべし。又、命終決定往生極樂之禮拜を致すべし。若し結衆之中に難遁障の者有ば、大衆相共に議して隨宜之を除くべし。
一。毎月十五日正中以後念佛以前に法花經を講ずべき事
右、聞法之要にして功徳無量なり。所謂鈍を轉じて利と爲すの媒、轉た凡を聖と為すの計也。五百之猿は麟角之佛に忽悟し(摩訶僧祇律でいう故事。井戸の月を本物と間違い取ろうとした猿たちは後に麟角独覚となった)、一千之雁は遂に鷲頭之仙に歸す。何ぞ況んや人倫乎。
何ぞ況んや僧徒乎。是の故に香城粉骨之大士は鷺池之秋月を尋ね(香城とは般若経巻三百九十八に説かれている法涌菩薩の住処。ここで常啼菩薩は般若波羅蜜行を修行した。常啼菩薩は法涌菩薩に教えを仰ぐ時、自身の骨を砕き、供養のしるしにしたという。これを香城粉骨という)、雪山投身之童子は鶴林之春風を傳ふ。悲哉我等、三身具足之金身を見ず、八音圓滿之音聲(如来の音声にそなわる8種類の徳。『大毘婆沙論』によれば,極好音・柔軟音・和適音・尊恵音・不女音・不誤音・深遠音・不渇音の8種)を聞くこと無し。唯だ五欲纒縛之海に漂ひ、未だ一如解脱之源に達せず。仍って毎月十五日念佛、未だ行ぜざる前に、有智の禪僧を以て法花經理を説かしめ、將に見聞弱知之人をして速かに開示悟入之位を踰(こ)へしむ。以って隨喜すべし。以って聽聞すべし。
一。十五日夜結衆之中次第、佛聖に燈明を供へ奉るべき事
右、佛、素より飮食百味之饍を離る。頻婆菓之脣(仏の頻婆菓のように赤い唇・法華経に喩あり)に於いて益無し。聖は永く冥暗千穴之燈を出、優曇花之體に於て用ず。然而して有情を愍むが為に一渧の水を嘗め(十住經に「我之所説者 如大海一渧」とあり)、群類を救はんが為に五莖蓮を受く矣(佛説未曾有因縁經「釋迦如來。當爾之時。爲菩薩道。以五百銀錢。從汝買得五莖蓮華。」)。況や又た深山の破れたる臺に恨待月有らんや。幽洞の荒たる砌りに便り攀る花無し。若し餘力有ば、相尋して莊嚴なるべし。況んや此の道場においてをや。盍し供佛儲を致さむかも。仍ち月一人を以て次第に勤行すべし。但し其定限法。佛供三燈油一升耳。
一。光明眞言を以て加持土砂し亡者の骸に置くべき事
右、念佛の後、別の道師を以て禮盤に著せしめ、五大願を發し、然る後に光明眞言を以て土砂を加持すべし。所以は、或眞言經(不空羂索神変真言経)に云ふ。若し眞言を以て土砂を加持すること一百八遍し尸骸に置く時、其の亡靈の業の輕重に随って、地獄中に生じ、餓鬼中に生じ、畜生中に生じ、修羅中に生じるも、毘盧遮那威徳力光明眞言威徳力を以て苦惱の身を捨て安樂國に往生し、蓮花より化生して無生忍を得て菩薩の位に登る云云。依って此の眞言を以て當に土砂を加持し、吾黨之中、先ず滅を取る者あらば、即ち骨骸に置き佛國に生ぜしめんとすべし。抑も骨を撻(むちう)ち、骸を禮せども未だ輪迴三有之國を免れず。月を戴き花を踏み、極樂九品之城に臻(いたらん)と欲す。但し土砂加持の後、當に五段禮拜を成すべし。所謂、歸命頂禮大日教主釋迦如來。南無極樂化主彌陀如來。南無大悲觀世音菩薩。南無得大勢菩薩。南無妙金蓮花經等也。
一。結衆相共に永く父母兄弟之思を成すべき事
右、三界は車の如し。誰か母、誰か父なる。六道は毬に似たり。何ぞ弟、何ぞ兄なる。矧(いわん)や又我等、二親之家を出で、三尊之道玄四恩之境に入り、五乘之門を刮(こす)る。方に今、同じく栴檀林之香を尋ね、共に醍醐教之味を受く。敬順之志、父恩の慈愛は輕きごとく、誠母の徳は飮泉を薄めるに似たり。宿樹は皆な恒に昔の縁なり。契を結び情を通ずるは豈に啻今の語ならん乎。抑も一善友に遇はば忽ち地獄之憂を免ず。頻(しきり)に良伴を數ふるは何ぞ、天堂之樂事とせん乎。吾黨は五逆を造らず。七遮(五逆罪に、殺和上と殺阿闍黎を加えたもの)を犯すこと無し。長く一生を期して共に三昧を修す。兩岸之葮(むくげ)、縱へ九品之蓮絶て、盍し攀げて須く父母兄弟之契を結び、終に風枝霜莖之恩を盡くべし。生前同く惕惕(てきてき恐懼)の縱を存し、死後共に如如之道に入る。之を忘るべからず、之に背くべからず云云。
一。結衆發願之後、各の三業事を護るべきの事
右、若し意馬散ぜば則ち山上之絲絶し易し。若し身龜庸(ヨウ・つまらないこと)ならば則ち海中之査逢ひ難し。一角仙人は猶ほ玉女之容に墮す。四目の居士は自ら從子之眼に随ふ。飮銅之象は乍ら火之迷に欲して入る。飡鐵之狗は終に愛水の意を出る。何況んや我等青綾紅錦を著しては則ち心を憔せんや。黄金白玉を取れば則ち念亂る。鈞を抽んで鎖を伺ふも以って強て西施之閨に戯る。弓を挽(ひき)て短を求む。好を以て南威之宅に遊ぶ。凡そ乘を持ちて戒を破る者は鐵網之城に慈む。戒に急に乗に緩なる者は遂に金繩之路を遠くす。而るに今我等、乘・戒倶に缺す。後生何ぞ憑(たのまん)や。辭には佛號を唱ふと雖も、貪欲之箭恒に意を惱ます。聲は經文を囀ずと雖も、瞋恚之力動もすれば肝を砕く。恐は三昧之水を掬み更に四趣之炎を消さん。自今以後、吾黨の賢愚、殺生盜婬を離れ、貪瞋癡を遠ざけ、麁惡
語を禁じ、無益言を制す。所謂、好惡・長短・貴賤・尊卑を稱讃毀謗すべからず。各の三業を守り六情を愼しむべし。凡そ十惡業の一つとして不可侵なれ。努力せよ努力せよ、愼むべし愼むべし。
一。結衆之中に病ある之時、用心いたすべき事。
右、百八煩惱は常に人身を侵す。十二因縁は遂に天命を奪ふ。朝露は日に向ひ、四性之車は保ち難し。暮雲は風に亂れ、一期之船は傾き易し。是故に我等、當に病を受るの初、おのおの朋友に告げ、惱を取るの剋、可種僕我既に重病を受く、曷(なん)ぞ又必死を疑はん乎。今吾平生所念之事、汝悉く遂ぐべし。若しは佛法之弘誓を興す、若しは罪障之善心を懺悔す、若しは父母之忠誠を孝養す、若しは檀度之事業を修行す、方に是の時に到りて速かに先ず之を遂ぐべし。汝所思あらば又た當に吾に語るべし。平に蓄念を陳べ、各の宿心を開け。又自今已後命終之期迄、我をして有情世之聲を聞すべからず。願くは當に我をして無漏地之境を生ぜしめよ。當に看病之人を以て念佛之聲を發せしめよ而已。
一。結衆中病人有る時、結番遞守護問訊すべき事。
右、人命無常なり、一旦之煙忽ち昇る。天年不定。五夜之燭は乍ちに滅す。所謂、朝欣こび暮に歎く。晝樂にして夜悲しむ者也。既に病根を朱樓之身に受く。何ぞ生樹を翠松之齡に期せんや。吾黨既に之を知る。豈に護るべからざるべけん哉。但し、生前不修一善根をも修せざるを恐る。何の何因にか身後三惡道を免るべけんや。嗚呼悲哉。猶ほ火宅之心を廻し遂に焔王之手に入んとす。須らく毎黄昏時に皆な病者所に行き、相共に念佛を唱へ其聲を聞かしむべし。慇懃相催し、極樂に生ぜしめよ。作法を守護すること二親に事(つかへ)る如くせよ。但し二日を以て將に一番と為せ。二人宿直し、共に此人を守れ。常に念佛を唱へ、往生を相勸せよ。一人は能く平急を看、傍輩に告ぐべし。護るべし誶(いさむる)べし。懦(くじけ)る勿れ、臥す勿れ。
一。房舍一宇を建立し往生院と號し病者移置すべき事
右、人は金石に非ず。遂に皆な憂有り。將に一房を造り、其時に用願すべし。彼の祇洹精舍無常院之風儀を傳、此を訊ねんと欲せば結縁知識、習地之霧露有り。抑も吾黨之人、或は私室を構へず、或は僅かに草菴を結ぶ。牛衣(乱麻を編んで作った衣)に風を防ぎ、鼠飡(粗末な食)に日を送る。平生是の如し。寢疾誰か憐んで夫れ黄鸝(こうり・高麗鶯)啼く如く、而て山櫻漸落之曉、白雁飛而薗菊半衰之晨に至らんや。居花前に群れ萍實(太陽)之輝を送り、宴月下に遊び桂花之影を運ぶことあらざるなかれ。四蛇相鬪之比(ころ)、六禽競亂之時、何人か暫くも相憐す。慇懃に養を得る。寔(まこと)に往生之契有りと雖も、尚ほ必死之人を疎むべし。仍って今、結衆合力して一宇の草菴を建立し彌陀如來を安置し、將に一結終焉之處と為す。三愛(境界愛・自体愛・当生愛)不起の謀と成るべし。方隅縱塞日時牢凶なりとす。皆此院に移し共に彼の人を養ふべし。又論に云ふ如く、佛像は西方に向け病人も亦た後に従う。佛像右手中に五色之幡を繋け、病者の左手に授け、將に幡脚を執らしめ、當に佛に從ひ往生すの思を成さしむべし。凡そ燒香散じ常に病者を莊嚴す。又、味を調へ食を撰びて病者を供養すべし。更に一合之棺を置け。須く闍維之備と為す者也。
一。兼ねて勝地を占ひ安養廟と名け率都婆一基を建立し將に一結墓所となすべき事。
右、一生過ぎ易し。凡夫は常に芭蕉之露に類す。二死遁れ難し。聖人猶栴檀之煙に接す。樂を盡して悲しみ到る。風の花を扇で散らす如し。榮去りて衰來る。水の濁りて玉を昏ます如し。夫れ骸の露地に臥し鳥觜眼を鑿み、骨煙村に横はり獸脣臠を啄むが如きに至る。行人流之心中、一寸之凍忽ちに碎け、遊客之眼下に兩行之泉乍(たちま)ち流れざるなし。魂は縱(たと)へ花藏之月を籠むと雖も、身は猶ほ徒(いたずら)に蒿里之塵となる。仍ち兼ねて勝地を占ひ一率都婆を建て名けて安養廟と称し永く吾黨の墓所と為す。但し大法師を請し、其地方を占へ。所以印契分地、眞言を以て處を鎭めよ。然る後に方神縱へ塞と雖も、土公(土公神)猶ほ在と雖も、佛徳を借り以って神威を分地す。豈に崇(あがめざ)らん哉。仍ち一結(仲間)の死人は三日を過ぎず則ち日の善惡を論ぜず此廟に之を葬るべし。
一。結衆之中已く者有らば時を問はず念佛して葬るべき事
右、吾等既に桝房桂宮之子に非ず。或は蓬門萆戸(粗末な家)之親を提(も)つ。匣中驪珠無し(筐に宝石はない)。床上に鳳被を絶す。僮僕の數廣からず。親眷亦甚だ希なり。其歸泉に至る之時、曷(いずくん)ぞ苦海之患を訪ぬ乎。仍って結衆悉く集りて安養廟に行き將に念佛を修し即ち亡者を導け。念佛畢て後、五體投地せよ。各の尊靈を唱へ、極樂往生を引導すること滿二十一遍なるべし。仰ぎ乞ふて彌陀種覺・觀音・勢至、七日之内に其生處を示すことを願ふべし。亦處善惡に隨って志懇疎を致すべし。
一。起請に随はず懈怠を致す之人は衆中より擯出すべき事。
右、流年漸行、涯今頽れ易し。風月頻援、泡身は留め難し。是故に紅顏自ら變じ、白首暗に萌ゆ。花容は先ず萎れ、蓬髮は速かに生ず。所謂、朝に紅閨之栖を翫じ、暮に蒼山之脚に委(ゆだ)ね晩に朱樓之砌に攀じ曉に緑野之頭に送る。 若し一たび人身を失はば何の日にか佛性を顯さん。若し二たび地獄に入らば何の時にか天尊を仰む。故に今、始めて希有之心を発し、適たま尊持之善を修す。共に懇誠を致すべきなり。豈に疎簡を得るべけん哉。若し念佛講經三度之を闕し、看病問葬に一般違すの人者あらば、永く四鳥之離(巣立つ四羽のひな鳥を見送る親鳥の別れの悲しみ)を告ぐべからず。敢て得て八龍之友と為し、自餘の起請皆之を守らしむべし。愼むべし勤むべし。忘る勿れ背く勿れ。
以前條事粗由縁を注す。抑も娑婆・極樂は盡く是れ智水の淺深、穢土・淨刹は豈に慧燈之明昧にあらざらん乎。凍解池澄、誰か陽炎之光を遂げんや。雲晴月明、寧(むし)ろ映水之影を掘す哉。然れば而ち我等、猶ほ分別之鏡に対し、未だ丹融之珠を瑩かず。若し南閻浮提之郷を論ぜば則ち龍鉤之色人を傷す。若し西方極樂之界を謂はば則ち鳳池之聲法を説く。
方今、此界は五濁六苦恒に蜉蝣之今を侵す。三毒四苦尚ほ蚊虻之身に迄(いた)る。之に因り我等深く此蓬園瓦礫之境を厭ひ、遙かに彼の蓮刹瑠璃之城を望む。故に今、衆議之旨に依り起請すること件の如し。
永延二年(988)六月十五日 首楞嚴院源信撰」