遠藤周作「沈黙」に、司祭ロドリゴが「殉教者が苦しむのを神はなぜ救わないのか」と疑問を持つがそのロドリゴに神は「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」と言うくだりがあります。アウシュビッツを生き延びたヴィクトール・フランクルのことばにも「人は神に“問う存在”なのではなく、神の期待に“応える存在”である」とあります。こういう言葉もまさに自分は神と「同行二人」であるという深い自覚からきているのだと思い至りました。いろいろな不条理なできごとをつうじて我々は「神仏はあるのか」「天道是か非か」と問いかけますが、本物の信仰を持っている人は「(神仏と)同行二人」の自覚から「神仏もともに苦しんでおられる」と感じることができるのでしょう。
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