福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Uさんから「戒名とはなんですか」とのご質問を頂きました。

2011-09-16 | Q&A
Uさんから「戒名とはなんですか」とのご質問を頂きました。(「生前戒名」については次回書きます)。 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その40

2011-09-16 | 法話
第三章 さとりの心 第一節 清らかな心 二、悟りの道において、人はおのれの眼をもって仏を見、心をもって仏を信ずる。それと同じく、人をして生死の巷に今日まで流転させたのも、またこの、眼と心である。 国王が侵入した賊を討とうとする時も、何よりも先に、その賊のありかを知ることが必要であるように、いま迷いをなくそうとするのにも、まずその眼と心のありかを確かめなければならない。 人が室内にいて眼をひら . . . 本文を読む
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お不動様のおさとし

2011-09-15 | 頂いた現実の霊験
お不動様のおさとし 恥を忍んで記録しておきます。 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その39

2011-09-15 | 法話
第三章 悟りの種 第一節 清らかな心 . . . 本文を読む
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二〇一一年九月十三日のお陰の記録

2011-09-14 | 法話
九月十三日のお陰 . . . 本文を読む
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Q九条錫杖経とはどういうお経でいつ唱えるのですか?

2011-09-13 | Q&A
Q九条錫杖経とはどういうお経でいつ唱えるのですか? . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その38

2011-09-12 | 法話
第四節 かたよらない心 七、仏の教えは相反する二つを離れてそれらが別のものでないということを悟るのである。もしも、相反する二つの中の一つを取って執着すればたとえそれが善であっても正であっても誤ったものになる。 もしも人がすべてのものは移り変わるという考えにとらわれるならば、これも間違った考えにおちいるものであり、また、もしも、すべてのものは変わらないという考えにとらわれるならば、これももとより間 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その37

2011-09-11 | 法話
第四節 かたよらない心 六、蓮華が清らかな高原や陸地に生えず、かえって汚い泥の中に咲くように、迷いを離れてさとりがあるのであなく、誤った見方や迷いから仏の種が生まれる。 危険をおかして海底に降りなければすばらしい宝は得られないように、迷いの泥海にはいらなければ、さとりの宝を得ることはできない。山のように大きな我執をもつものであってはじめて道を求める心もおこるし、さとりもついに生ずるであろう。 . . . 本文を読む
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福聚講 今日の言葉 

2011-09-11 | 法話
大蔵経を検索してみても「輪廻」がいかに多くの経典にとかれているかが分かります。すなわち佛教は輪廻を前提にとかれているのです。 . . . 本文を読む
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昨日の「人間万事塞翁が馬」についての塵添壒嚢鈔の解説

2011-09-11 | 法話
昨日の「人間万事塞翁が馬」についての塵添壒嚢鈔の解説 . . . 本文を読む
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Q、最近いろいろ悩み事ばかり増えます。いやになってきます。逃げ出せるものならにげだしたいです。

2011-09-10 | Q&A
Q、最近自分のせいではないのに、いろいろ悩み事ばかり増えます。いやになってきます。どうして自分ばかりと思います。逃げ出せるものならにげだしたいです。 . . . 本文を読む
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Q、台風で甚大な被害が出ました風雨を止める修法はないのですか?

2011-09-09 | Q&A
Q、台風で甚大な被害が出ました風雨を止める修法はないのですか? . . . 本文を読む
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福聚講 今日の言葉  

2011-09-08 | 法話
慈雲尊者の書論「文字、禅を離れず・・・其の志は護法に在り。」 . . . 本文を読む
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九月十四日二次会は19時よりいつもの「乃家」です

2011-09-08 | 定例会のお知らせ
九月十四日は17時から19時、仏教伝道会館7階「千巻心経の会」ですが、 二次会は19時よりいつもの「乃家」です。 一次会に間に合わなかった方は「乃家」でお待ちしています。 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その36

2011-09-08 | 法話
第四節 五、 人はいつもものの生ずることと滅することを見るが、ものにはもともと生ずることがないのであるから、滅することもない。 このものの真実の姿を見る眼を得て、ものに生滅の二つのないことを知り、生滅は別のものではないという真理をさとるのである。 人は我があるとおもうから我が物に執着する。しかしもともと我がないのであるから、わがもののあるはずがない。我と我が物のないことを知って、別のもので . . . 本文を読む
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