Uさんから「戒名とはなんですか」とのご質問を頂きました。(「生前戒名」については次回書きます)。 . . . 本文を読む
第三章 さとりの心
第一節 清らかな心
二、悟りの道において、人はおのれの眼をもって仏を見、心をもって仏を信ずる。それと同じく、人をして生死の巷に今日まで流転させたのも、またこの、眼と心である。
国王が侵入した賊を討とうとする時も、何よりも先に、その賊のありかを知ることが必要であるように、いま迷いをなくそうとするのにも、まずその眼と心のありかを確かめなければならない。
人が室内にいて眼をひら . . . 本文を読む
第四節 かたよらない心
七、仏の教えは相反する二つを離れてそれらが別のものでないということを悟るのである。もしも、相反する二つの中の一つを取って執着すればたとえそれが善であっても正であっても誤ったものになる。
もしも人がすべてのものは移り変わるという考えにとらわれるならば、これも間違った考えにおちいるものであり、また、もしも、すべてのものは変わらないという考えにとらわれるならば、これももとより間 . . . 本文を読む
第四節 かたよらない心
六、蓮華が清らかな高原や陸地に生えず、かえって汚い泥の中に咲くように、迷いを離れてさとりがあるのであなく、誤った見方や迷いから仏の種が生まれる。
危険をおかして海底に降りなければすばらしい宝は得られないように、迷いの泥海にはいらなければ、さとりの宝を得ることはできない。山のように大きな我執をもつものであってはじめて道を求める心もおこるし、さとりもついに生ずるであろう。
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第四節
五、
人はいつもものの生ずることと滅することを見るが、ものにはもともと生ずることがないのであるから、滅することもない。
このものの真実の姿を見る眼を得て、ものに生滅の二つのないことを知り、生滅は別のものではないという真理をさとるのである。
人は我があるとおもうから我が物に執着する。しかしもともと我がないのであるから、わがもののあるはずがない。我と我が物のないことを知って、別のもので . . . 本文を読む