昨日の「人間万事塞翁が馬」についての塵添壒嚢鈔の解説です。
「・・吉凶はあざなえる縄の如しという言葉があるが、実に縄をほぐしてみると、二筋の藁が左右に交じり合って縄の形をしているのがわかる。そのように吉凶の二事も交じり合い相続して人間の終始をしているのである。
なにごともみな前世の宿業によるものであるから、あながちに喜び、また強いて悲しむべきことではない。善悪の二事はともに輪廻の因縁であるから、一喜一憂してうろたえるべきではない。
だから後鳥羽院も承久の義兵がかなわず、さらには隠岐の島へ配流されたがその時、お詠みになった述懐の歌に塞翁のことが述べられている。
『いつとなく 北の翁がごとくせば、このことわりや思い入れなん。』」
「・・吉凶はあざなえる縄の如しという言葉があるが、実に縄をほぐしてみると、二筋の藁が左右に交じり合って縄の形をしているのがわかる。そのように吉凶の二事も交じり合い相続して人間の終始をしているのである。
なにごともみな前世の宿業によるものであるから、あながちに喜び、また強いて悲しむべきことではない。善悪の二事はともに輪廻の因縁であるから、一喜一憂してうろたえるべきではない。
だから後鳥羽院も承久の義兵がかなわず、さらには隠岐の島へ配流されたがその時、お詠みになった述懐の歌に塞翁のことが述べられている。
『いつとなく 北の翁がごとくせば、このことわりや思い入れなん。』」