第三章 悟りの種
第一節 清らかな心
人にはいろいろの種類がある。心の曇りの少ないものもあれば、曇りの多いものもあり、賢いのもいれば愚かなものもある。
善い性質のものもあれば、悪い性質のものもあり、教えやすいものもあれば、教えにくいものもある。
例えていると、青・赤・黄・白色さまざまな蓮があって、水中に生え、水中に育って、水の表面にでない蓮もあれば、水面にとどまる蓮もあり、水面を離れて、水にぬれない蓮もある。ようなものである。
この違いの上に、さらにまた、男女の違いがあるが、しかし、人の本性として違いがあるのではない。男が道を求めて悟りを得るように、女もまた道を求めればしかるべき心のすじを経て、さとりにいたるのであろう。
象を扱う術を学ぶのには、信念と健康をもち、勤勉であって、偽りがなく、その上に智慧がなければならない。
仏に従ってさとりを得るにも、やはりこの五つがなければならない。この五つがあれば男でも女でも、仏のおしえを学ぶのに長い年月は要しない。これは、人には皆、さとるべき性質がそなわっているからである。
第一節 清らかな心
人にはいろいろの種類がある。心の曇りの少ないものもあれば、曇りの多いものもあり、賢いのもいれば愚かなものもある。
善い性質のものもあれば、悪い性質のものもあり、教えやすいものもあれば、教えにくいものもある。
例えていると、青・赤・黄・白色さまざまな蓮があって、水中に生え、水中に育って、水の表面にでない蓮もあれば、水面にとどまる蓮もあり、水面を離れて、水にぬれない蓮もある。ようなものである。
この違いの上に、さらにまた、男女の違いがあるが、しかし、人の本性として違いがあるのではない。男が道を求めて悟りを得るように、女もまた道を求めればしかるべき心のすじを経て、さとりにいたるのであろう。
象を扱う術を学ぶのには、信念と健康をもち、勤勉であって、偽りがなく、その上に智慧がなければならない。
仏に従ってさとりを得るにも、やはりこの五つがなければならない。この五つがあれば男でも女でも、仏のおしえを学ぶのに長い年月は要しない。これは、人には皆、さとるべき性質がそなわっているからである。