ヒヨコ・イン・ザ・ワールド

Fukunosukeとhiyokoのlifelog。

バリ旅行2006番外編(アマンの片鱗その2)

2006-07-02 15:25:49 | バリ旅行2005&2006
アマンついでに、もうひとつ。

■ アメニティのこと

この写真は何かと言うと、タダでもらってきた部屋のアメニティです。

ガメてきたんじゃありません。持って帰っていいというので、そうしたまでです。
左下の扇子がお土産によさそうだったので、ホテルショップで売っていないかと思い、
探しに行ったのですが、扇子は置いていないようだったので、ゲストリレーションズ
に聞いてみたんです。


「部屋にある扇子は、売っては貰えないのですか。お土産によさそうなので」

「いくつ必要ですか? 1つだったら、部屋にあるのはお持ち帰りいただいて
 構いませんけれど、、、。」

「え?」


皆様申し訳ありません。この台詞に我々の眼が輝いちゃったみたいです。日本人
観光客代表として、恥ずかしい態度だったかも。ゲストリレーションズは我々の
様子を察しました(←すごく頭切れます。この人)。すかさず、こう言ってくれました。


「他にも、うちわ、ビーチサンダル、ビーチ用のカゴなんかも、部屋にあるのだっ
 たら持っていっていいですよ。」

「うわぁ、そうなんですか。そうなんだ、、、。ありがとう!」


我々がアマンマジックにやられたのは、本当はこの瞬間だったかも知れません(笑)。
他に何かただでもらえるものはないのかな?なんて思う一方、「おのれはアマンに
泊まっているんだぞ!これ以上浅ましいことを考えるな」と自分で自分を叱責しました。
*家内は、部屋のくずかごを手にして、「これ持って行っていいのかなぁ」なんて
 言ってました。

それにしても、変わったアメニティでしょ。その代わり、歯ブラシセットとか、
俗っぽいアメニティはないんですよ。



そうそう、帰りの空港で、ネームタグを付けていなかったボストンバッグに、アマヌサ
のタグが付けられていました。普通、ホテルで付けてくれるタグは、紙ですよね。
ここのは、後々ちゃんと使える立派な黒いネームタグケース。

今度アマンに行くときは、スーツケースのネームタグ全部外して行こっと。
(うーん。懲りていない。)





■ アマンは身近になったのか?

アマンといえば、その昔は「アラブ王族御用達」とか、「マイケルJFの犬が養われ
ている」とか、とかく普通の人は行っちゃいけない孤高の雰囲気ありましたよね。
その当時からすれば、随分行きやすくなったものです。京都の一見お断りの料亭より、
よっぽど敷居が低いです。


そんな身近になったアマンに、やっぱり身近じゃないものみつけました。

アハハ、「ヘリコプターチャーター!」。空港まで行けます。アマンダリ、アマンキラ
にも。もっと飛んで、ジョグジャのアマンジヲまで行けちゃうって。だいたい百万円。
何故かわからないけど「やっぱりこうじゃなきゃ」って、妙に安心してしまいました。

バリ旅行2006番外編(アマンの片鱗その1)

2006-07-02 14:35:05 | バリ旅行2005&2006
今回、初めてアマンに泊まってみて、「みんなが憧れるアマンのよさ」って何だろう?ということを色々考えてしまいました。


と言うのも、到着した時は、それ程感動もしなかったし、良い印象も持たなかったからなんです。「ふーん、こんなものかぁ」という感じ。それが帰る頃には、「あぁ、よかったなぁ、また来たいなぁ」という印象に。この変化の理由はなんだったのかと、考えてしまったわけです。


何故最初の印象がよくなかったのかと言うと、チェックインしたときのスタッフの印象が、ちょっと冷たいというか、いわゆる慇懃な感じがしたんですね。例えると、「チャングムの長官(わかりますか?)」のように、あたりは大変柔らかなのですが、一面、心から打ち解けるような、フレンドリーさ、気さくさが感じられなかったのです。最初、これに「ん?」と思った。
加えて、施設そのものは、競合ホテルにも、我々のようなゲストにも研究し尽くされています。“ガイドブックのあの写真と同じで素敵だね”と思うことはあっても、“予想を超えて素晴らしい”という感想はなかなか持ちにくかった。


ところが、ある事を契機に、アマンに対する印象が変わっていくのです。


ある日、ホテル内のショップに行くと、店番をしていたスタッフが家内に声をかけました。「僕のこと覚えてます?フォーシーズンズに迎えに行った運転手なんですけど。」 「えっ、ホントだ。」確かに、迎えに来てくれたドライバーでした。でも、何で今日は店番なの? 「うん。今日はお店の当番。明日はまたドライバー。何でもやるんです。」その彼が、家内にこう言ったのです。「探していたアタの箱はみつかった?」


実は、どうしても欲しいアタの箱があって、アマヌサへ来る道すがら、何軒か寄り道してもらったのに、希望の箱を買えていない事を彼は覚えていてくれたのです。


「これではどう?」彼はショップにあったアタの箱を見せてくれましたが、「気に入らない」というと、彼はうつむいて考え込んでしまいました。何かいい方法がないか、彼なりに思案にくれている、といった感じです。


たったこれだけのことだったのですが、これまで、ただ「慇懃」と思われたスタッフの行動・態度が、そうではなく、単に徹底して「控えめ」なだけであり、ゲストに対しては、随分親身な感情を持っていてくれているのかも、と思えるようになりました。


そう感じはじめると、スタッフの対応がすごく心地よいものに思えてきました。「今日のご機嫌はいかがですか」、「明日はカメを放すんでしょう? 何匹にしたの?」、「頼まれていたお土産のラッピングはもうできていますよ」、「明日の朝食は是非ビーチクラブで食べなよ」、「今度はいつ来るの? 来年? 来月? 来週?...」ことあるごとに、さまざまなスタッフからやわらかく声を掛けられ、果てはルームサービスの女性(ブログに既出)にも「明日チェックアウトしちゃうんですって? 日本に帰るの? 日本のどこ?」なんて聞かれます。



『みんなが、僕らの事を知っていて、暖かく包んでくれている感じ』



そう、そんな風に印象が変わっていったのです。勿論、これはアマンサービスの“システム”の上に成立していること(一度、遠くから写真を撮られていました。容姿で顧客を識別するためじゃないかと思います)。けれど、そういうシステムだけでは、こんな風にしっとりと人の琴線に触れるような応対はできないはず。これに比べればリッツ・カールトンのサービス(食事をしに行っただけですけど)等は、一見素晴らしい様に思えるけれど、システムに徹底しすぎていて、心があるのか?と思ってしまうくらい。


僕なりに思ったアマンとは、そんなことです。ハードは勿論よいけれど、それ以上のソフトのよさが、他が真似できないアマンの素晴らしさなのかな、と。そしてそういう思いは、滞在が長くなればなるほど、深まっていくのかも知れないとも思いました。今回はわずか2泊。アマンの片鱗をみただけで終わっちゃいましたけど、アマンに滞在するということは、心を癒すことでもある。そんな印象を持ったのです。

いずれこの考えを検証できるといいなと思います。