沢入駅 - 原向駅間 吉ノ沢架樋 ( かけひ ) 付近より 728D列車
テールランプは点いていませんが、上り列車の後追い写真です。
11月上旬、線路に積もった落ち葉が列車の風圧で巻き上げられ、列車の後を追いかけていきます。
右の 「 高崎鉄道管理局 」 の看板が懐かしいです。
沢入駅 - 原向駅間 名越トンネル付近より 725D列車
足尾線で使われていたディーゼルカーは キハ20、キハ30、キハ40。
高崎第一機関区 所属だったので、八高線と共通運用でした。
足尾寄りに キハ30が連結される事が多く、がっかりさせられていました。
水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁より
秋の渡良瀬川の水は冷たかったです。 ビーチサンダルを履いて、ひざ上まで水に浸かって 渡渉しました。 この付近は水コケが多くて滑りやすいです。
川原に遊びに来ていた家族連れが、私の事を心配そうに見ていました。 「 ここでコケたら恥ずかしい 」。 そればっかり気にしていたのでした。
水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁付近より
足尾線は山合いのため、秋冬はすぐに日陰になってしまいます。 ですが対岸の山の斜面には西日が当たり、オレンジ色に染まっていました。
蒼い風景とオレンジ色の対比が 面白い絵になりました。
足尾駅より 751D列車
前日からの雪は 夜明け前に止み、空は次第に明るくなってきました。 構内の照明が 雪を明るく照らしています。
寒い中で撮影しているはずですが、写真では温もりさえ感じてしまいます。 それは ただの風景写真ではなく、鉄道のある風景 だからなのかも知れません。
間藤駅より 720D列車
まだ夜の名残りが残り、街灯がぼんやり灯る間藤の町並み。
足尾駅で停泊したディーゼルカーは 751D列車 として 間藤駅へ移動。 ここから桐生駅に向けて 一番列車 が走り出します。
通洞駅 - 足尾駅間 バイパス道路より 備前楯山と 721D列車
真冬の雪は湿度が低いので あまり樹木にからみ付かないですが、春の雪は水分が多いので、樹氷 になります。
雪晴れの朝、まぶしく輝く風景に、心も ときめくのでした。
大間々駅 - 上神梅駅間 福岡大橋より 722D列車
前日に足尾駅で停泊し、上り列車としてやって来た 722D列車 です。 平日は 4輌編成で運用されていました。
国鉄時代、赤字線廃止対象路線 になっていた足尾線。 乗車率 1000人をクリアさせる事が存続の条件でした。 地元住民による懸命な乗車運動は、この列車の乗車率に託されました。
足尾線で長年展開されていた 特別乗車運動 は、全国トップレベルだったと記憶しています。
沿線の方々にとって、感慨深い列車なのです。
足尾本山駅より 操車風景
足尾銅山 は 1973年に閉山しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。
町を包み込む水蒸気。 銅山の最盛期を知らない私ですが、ここに立つたび、独特の風景に圧倒されていました。
JR足尾線最後の日 足尾駅より 団体列車 くつろぎ号
1987年 春の 国鉄民営化 のタイミングで 貨物列車が廃止。 それから 2年。 すでに構内の一部のレールが撤去されているのが、この写真から分かります。
足尾線最後の日。 小雨の降る寒い日曜日でした。 2本の団体列車が運転され、一般の列車も朝から乗車率は 100%を超えていました。
鉄道を廃止して路線バスに転換するのか、第三セクター鉄道として鉄路を残すのか。 5年間続いた議論と乗車運動は、わたらせ渓谷鐵道 の発足という 一つの結果を導き出しました 。。。
1985.11.9 ( 13:53 ) 110mm相当 F5.6-8 1/250sec
テールランプは点いていませんが、上り列車の後追い写真です。
11月上旬、線路に積もった落ち葉が列車の風圧で巻き上げられ、列車の後を追いかけていきます。
右の 「 高崎鉄道管理局 」 の看板が懐かしいです。
< ネガフィルムの画像を電子データに変換しましたので、紹介していきます >
沢入駅 - 原向駅間 名越トンネル付近より 725D列車
1986.11.10 ( 14:47 ) 70mm相当 F16 1/60sec
足尾線で使われていたディーゼルカーは キハ20、キハ30、キハ40。
高崎第一機関区 所属だったので、八高線と共通運用でした。
足尾寄りに キハ30が連結される事が多く、がっかりさせられていました。
水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁より
秋の渡良瀬川の水は冷たかったです。 ビーチサンダルを履いて、ひざ上まで水に浸かって 渡渉しました。 この付近は水コケが多くて滑りやすいです。
川原に遊びに来ていた家族連れが、私の事を心配そうに見ていました。 「 ここでコケたら恥ずかしい 」。 そればっかり気にしていたのでした。
水沼駅 - 花輪駅間 小黒川橋梁付近より
足尾線は山合いのため、秋冬はすぐに日陰になってしまいます。 ですが対岸の山の斜面には西日が当たり、オレンジ色に染まっていました。
蒼い風景とオレンジ色の対比が 面白い絵になりました。
足尾駅より 751D列車
前日からの雪は 夜明け前に止み、空は次第に明るくなってきました。 構内の照明が 雪を明るく照らしています。
寒い中で撮影しているはずですが、写真では温もりさえ感じてしまいます。 それは ただの風景写真ではなく、鉄道のある風景 だからなのかも知れません。
間藤駅より 720D列車
1987.3.8 ( 6:02 ) 110mm相当 F8-11 1sec
まだ夜の名残りが残り、街灯がぼんやり灯る間藤の町並み。
足尾駅で停泊したディーゼルカーは 751D列車 として 間藤駅へ移動。 ここから桐生駅に向けて 一番列車 が走り出します。
通洞駅 - 足尾駅間 バイパス道路より 備前楯山と 721D列車
1988.3.27 ( 8:09 ) 80mm相当 F11 1/250sec
真冬の雪は湿度が低いので あまり樹木にからみ付かないですが、春の雪は水分が多いので、樹氷 になります。
雪晴れの朝、まぶしく輝く風景に、心も ときめくのでした。
大間々駅 - 上神梅駅間 福岡大橋より 722D列車
前日に足尾駅で停泊し、上り列車としてやって来た 722D列車 です。 平日は 4輌編成で運用されていました。
国鉄時代、赤字線廃止対象路線 になっていた足尾線。 乗車率 1000人をクリアさせる事が存続の条件でした。 地元住民による懸命な乗車運動は、この列車の乗車率に託されました。
足尾線で長年展開されていた 特別乗車運動 は、全国トップレベルだったと記憶しています。
沿線の方々にとって、感慨深い列車なのです。
足尾本山駅より 操車風景
足尾銅山 は 1973年に閉山しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。
町を包み込む水蒸気。 銅山の最盛期を知らない私ですが、ここに立つたび、独特の風景に圧倒されていました。
JR足尾線最後の日 足尾駅より 団体列車 くつろぎ号
1989.3.28 ( 17:45 ) 170mm相当 F4 1/8sec
1987年 春の 国鉄民営化 のタイミングで 貨物列車が廃止。 それから 2年。 すでに構内の一部のレールが撤去されているのが、この写真から分かります。
足尾線最後の日。 小雨の降る寒い日曜日でした。 2本の団体列車が運転され、一般の列車も朝から乗車率は 100%を超えていました。
鉄道を廃止して路線バスに転換するのか、第三セクター鉄道として鉄路を残すのか。 5年間続いた議論と乗車運動は、わたらせ渓谷鐵道 の発足という 一つの結果を導き出しました 。。。