山の風景写真を撮り始めた頃、山頂を目指して黙々と歩いていた。 目の前に美しい風景が広がっていても、ザックからカメラを取り出すのが面倒で、「下山路も同じルートだし、後で撮ればいいや。」と思っていた。
下山時 その場所に行くと、太陽の角度が変わって 魅力的な風景に見えなくなっていて、悔しい思いをすることが幾度もあった。
山歩きだからと言って、必ずしも山頂に立つ必要は無い。 そう意識を変えると 気負いが消え、山歩きが楽しくなった。
写真を撮っても撮らなくても、カメラを持ち歩く事にしている。 少し歩いて、立ち止まって、また歩いて、後戻りして。 カメラを持って風景とたわむれていると、時間の経過も疲れも感じず、まして 俗世のグダグダなんて 意識に入り込む隙さえない。
カメラを持たずに一人で歩いていると、何だか居心地が悪い。 カメラを持って歩いていると、自分の居場所が確保された様な気がして安心できる。
複数人の登山グループとすれ違って、「一人で登っているの?」と聞かれれば、「風景写真は一人が基本ですから。」と答えれば良い。
もちろん、気の合う友人たちと お喋りしながら歩く楽しさも知っている。 その時は風景写真には専念しないと割り切っている。 その代わり、へんなスナップ写真ばかりが増えていく。
ある程度の歳を取ってきて、登山路で合う見知らぬ人との会話も 楽しみの一つになってきた。
天気の話。 その山の話。 最近登った山の話。 野鳥や草花。 意外と、仕事や愚痴話しでも盛り上がる。
標高の高い山は敬遠しがちで 行動範囲はせばまってはいるが、風景との戯れは終わらない。。。
牛伏山の過去記事 牛伏山 春景 2024-04-25
下山時 その場所に行くと、太陽の角度が変わって 魅力的な風景に見えなくなっていて、悔しい思いをすることが幾度もあった。
山歩きだからと言って、必ずしも山頂に立つ必要は無い。 そう意識を変えると 気負いが消え、山歩きが楽しくなった。
写真を撮っても撮らなくても、カメラを持ち歩く事にしている。 少し歩いて、立ち止まって、また歩いて、後戻りして。 カメラを持って風景とたわむれていると、時間の経過も疲れも感じず、まして 俗世のグダグダなんて 意識に入り込む隙さえない。
カメラを持たずに一人で歩いていると、何だか居心地が悪い。 カメラを持って歩いていると、自分の居場所が確保された様な気がして安心できる。
複数人の登山グループとすれ違って、「一人で登っているの?」と聞かれれば、「風景写真は一人が基本ですから。」と答えれば良い。
もちろん、気の合う友人たちと お喋りしながら歩く楽しさも知っている。 その時は風景写真には専念しないと割り切っている。 その代わり、へんなスナップ写真ばかりが増えていく。
ある程度の歳を取ってきて、登山路で合う見知らぬ人との会話も 楽しみの一つになってきた。
天気の話。 その山の話。 最近登った山の話。 野鳥や草花。 意外と、仕事や愚痴話しでも盛り上がる。
標高の高い山は敬遠しがちで 行動範囲はせばまってはいるが、風景との戯れは終わらない。。。
牛伏山の過去記事 牛伏山 春景 2024-04-25