本日「無法松の一生」「女が階段を上がる時」の二本立てを観た、どちらも高峰秀子特集の興行でこんな得した気分を味わったのは久しぶり。
無法松の一生
こんな泣かせる映画は久々、そして三船敏郎でどうかな?との思いも祇園太鼓のシーンで吹き飛んでしまった。何とも切ないラブストーリであり、車寅次郎に通じる所も感じた。
そしてこの時代(1958年)の映画は本当に良い物が多い、優秀な映画人が多かったんだなとしみじみ思う。
〔内容〕
“無法松”という愛称を持つ人力車夫の富島松五郎は、木から落ちてケガをした吉岡敏雄という少年と出会う。家に送り届けた松五郎は敏雄の父の吉岡大尉に気に入られ、家に出入りするようになる。しかし大尉は雨天の練習で風邪をこじらせ、妻の良子と敏雄を残しこの世を去った。残された二人は松五郎を頼りにし、松五郎も二人の面倒を見るようになるのだが…。
(出典:全洋画オンライン)
なお高峰秀子の凛とした所と松五郎の粗野な振る舞いの対比、近づきたいけど近づけない距離感、明治中期から大正にかけての風俗、見事な画面造りに祇園太鼓の名シーン等々の記憶に残る部分が多い一作。
残念なのは音が悪いのと画像に時々小雨が降ること、なお冒頭で黒髪姿の笠智衆が出てきたとこはびっくり、良いものを観た。
女が階段を上がる時
高峰秀子と言う女優の素晴らしさが光りまくった一作だと思う。
過去画面で見たことはあったがそれほど印象には残っていなかったが、気丈なとこやら弱気なとこやらいろいろな表情を演じて、これほどまで見事とは知らなかった!
世紀の大女優というのも大げさでは無いと思う。
〔内容〕
夫を亡くした圭子は、外国人マスターが経営する銀座のバー“ライラック”の雇われマダムだった。よく店に来ていた利権屋の美濃部が、かつて圭子の下で働いていたユリに店を持たせ、そちらへ頻繁に出入りしているようだ。マスターからはユリのように体を張って売り上げを回復させろと言われてしまう。ある日、狂言自殺をするつもりだったユリが本当に死亡した。葬儀の席で圭子は美濃部に食ってかかるが、血を吐いて倒れてしまう。酒の飲み過ぎで胃潰瘍にかかっていたのだ。やがて圭子は客に体を許すようになるが、その度に裏切られてしまう。
(出典:全洋画オンライン)
この映画は脚本も見事。
まだまだ未見の名作は有りそうで、これからも楽しみなことだ。
無法松の一生 予告篇