ちょいと空き時間が出来たので、片道1時間と交通費¥550を掛けて、本日のみの上映と言うことで池袋の新文芸座まで行ってきた。
そこまでして見たかった映画とは「東京裁判」(小林正樹監督,1983年)。
1983年の封切時にも見ていて、その実物の人物が織りなすドラマに当時は随分と感動したが、今回もやはり傑作だった。
日米の膨大なドキュメンタリー ・フィルムを編集して、ほんのチョットの説明映像を差し込んで、4時間半に纏めあげた力量は”渾身の力作”と言う言葉がぴったり、まったく退屈することが無く、あくびすら出ないで集中して見ることができた。
まるであの当時の実物が脚本に基づいた芝居でも演じているかの様な錯覚すら覚える見事な編集、しかしながら監督が結論を誘導する様なこともしていない、もう見事というしかない。
ただこの映画でも日本側弁護団の主張の、「侵略か自衛かは当事国の当事者が判断するもので、国際法上も戦争行為を認めている。故に”平和に対する罪”は成立しない」、このことは支持している様だ。また、だからと言ってこの当事者達の免責にはならないことも暗示している。
(この被告となった帝国軍人達は見ていて情けなくなる、たしかに個人の罪は問えないが、結果責任は追及したくもなる。)
あらためて見てみると、結構客観的な造りで好感が持てる、そして、映画はこの裁判の後の冷戦時代の始まりを告げて終わる。
それにしても連合国側の記録フィルムは随分キレイ、対して我国の記録映像は極めて劣化しており、彼我の差はここでも明らか。
こんな季節に見るには最適の映画。(下手な役者もいなければ、臭い演出も無い)
東京裁判名場面
さて”戦争責任”と言うことに関して個人的な意見を言うと、
開戦や敗戦はしかたが無いが(100歩位譲って)、辞める(降伏する) タイミングを誤ったのは最大の罪だと思う、3月の東京大空襲や広島や長崎の原爆、これを非人道的と言うならば、”一億玉砕”を叫んでズルズルと8月15日まで先送りしたのは非人道的な所業で許しがたい大罪だと思う。
サイパンと同じことが日本本土で起きていたらと思うと「ぞっ」とする。