愛と感動の「24時間TV」が終わった。
本当に素晴らしい感動をありがとう、、、、なんてのはうそ。
全国の数多い、不幸な人々でかつ成功した人々をスクリーニングして、ドラマチックな感動を、そしてバラエティで飯食ってるタレントさん達がこの時とばかりに楽屋話で盛り上げて笑いと感動を放映する、きわめて低俗な企画だと思う。
MCにはあの’とくみつさん’がぴったりとはまる企画。
感動の押し売りの様な24時間、結構良い話もあるんだけども、こんなバカ騒ぎでやる様なこととも思えないし、この国のために何がしかの貢献するのであればバラエティなんかに頼らなくてもいくらでも方法はあるのに、などと強く思う。
ともかくこの24時間TVなる代物、最近の民放のバラエティ全盛の象徴の様な存在、今回は特に気になることがあって、、、、
林家たい平という噺家が100Kmのマラソンを走る、それについては師匠のこん平が応援のためにきついリハビリをし、師弟で涙まみれで抱き合うなんてシーンを見た。
噺家なんてのは高座で話してなんぼの世界、楽屋落ち(業界の裏情報やら家族の話) で”受け”をとるもんでもなかろうに。
笑点と言う番組、以前はしゃれた会話が聞けたので結構好きだったが、最近はバラエティー 化したせいかあまり見ない。
(昔は紹介の時に「湯上りのおとこ、三遊亭圓楽」とかキザなセリフの小園遊とか、この頃から自己紹介は結構面白かった。)
以前’ラーメンズ’ のインタビューで「僕たちは台本が無いと駄目なんです、だからこの番組でないと駄目なんです」との受け答えを見て、まさしく我が意を得たりの思いだった。
彼らの芸は計算された台本としっかりとした稽古(推測、もし稽古無しであれだけやれたら超天才)で極めて完成度が高い。
芸人がたくさん出る番組なぞでは「本日はネタの競演です!」なんてセリフを良く聞くが、そもそもネタなる言葉は業界用語で放送禁止にしても良いと思う。
我々視聴者が期待するのは芸人のパフォーマンスであり、家族の話や業界の話そして世話になった人の話では無い、しかしながら残念なことにその楽屋落ちで視聴率が稼げる不思議で残念な世の中である。
一方で近頃の芸人さんは「台本なんかなくてもリアクションだけで」食っていける番組が多いから食うのに困らない、それやこれやが質的低下となっている。
寄席の大喜利なんてのは普段の芸とは別にリアクションを見せる遊びの様な存在だったらしいから、笑点なんかは世の中のバラエティの波に迎合して成功した様に見えてるだけ。
1960年代にはあっちこっちで(寄席中継で)大喜利なんかやっていた、でもどうやら笑点だけがこのバラエティー強調路線で生き残ったようだ。
林家たい平、結構好きな噺家なんでバラエティー・タレントにはなって欲しくない、100Kmマラソンの結果なんてどうでも良い。
芸人さんが楽屋落ちで笑いとるのはやめよう、と強く言いたい。