1975年、 日本連合赤軍は クアラルンプールの米国大使館を占拠し、
50人以上の人質を取って、 日本政府に 要求を突きつけました。
政府は超法規的措置で、 過激派5人を釈放します。
1年前の三菱重工ビル爆破事件の 犯人の一人、
佐々木規夫被告も 含まれていました。
松田將希 (まさき) さんは、
そのテレビ画面を 複雑な思いで見つめていました。
松田さんは 妹のとし子さん (当時23才) を、
爆破事件で亡くしています。
「 妹の無念を思うと 悔しかった。
でも、 死んでしまった人より、 人質になった人の 命が大切だから……」
爆破事件の主犯格・ 大道寺将司, 益永利明は、
87年に最高裁で 死刑が確定しました。
しかし、 それから 21年たった現在も、 刑は執行されていません。
共犯が 海外に逃亡しているのが、 執行できない理由の ひとつだといいます。
大道寺死刑囚は述べています。
「 死刑とは 人間の生命と人権を 奪うものであり、
廃止すべきだと 考えるようになった 」
いま両死刑囚は 第3次再審請求を行なっています。
76年の北海道庁爆破事件の 被害者・ 内山武三さんは この32年間、
仲間の被害者が 次々と亡くなっていくのを 見てきました。
「 事件が風化し、 知らない世代からは
『死刑囚がかわいそうだ』 という声が あがるかもしれない。
人の命を奪う刑だから 執行に慎重になるのは分かるが、
このままでは 被害者だけが苦しむことになる 」
死刑執行まで長すぎる …… 被害者はそう呟きます。
〔読売新聞より〕