「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

裁判員制度での 死刑判断

2009年05月15日 22時35分42秒 | 死刑制度と癒し
 
 自供の信用性, 責任能力の有無など、 判断が難しい問題を 抱えながら、

 裁判員が 死刑を選択するかもしれない 事態に直面します。

 裁判員制度では、 裁判員と裁判官 計9人の意見が 一致しないときは、

 多数決で判決を決めます。

 制度設計の段階では、 日本弁護士連合会は

 「 死刑は全員一致 」と 求めていましたが、

 制度実施の延期を 懸念され、 議論は広がりませんでした。

 プロの裁判官でも、 死刑を選択するときだけは

 「 3人のうち一人でも 疑問を持てば、 死刑は回避してきた 」

 という人が多くいます。

 陪審員制度は 全員一致がルールですが、 裁判員制度では死刑であっても、

 まとまらなければ 多数決を採らざるを得ないだろう、 とも予想されています。

 裁判員の精神的負担も 重大になるでしょう。

 「 絶対死刑を選ばない 」と 決めている裁判員候補は、

 面接の段階で 排除される可能性があります。

 法律に従わないことになり、 不公正な裁判をする 恐れがあるからです。

 「 死刑に反対 」というだけでは 裁判員辞退は認められませんが、

 死刑を適用すべきか 議論することすら 精神的な苦痛に 感じる人については、

 認めることもありそうです。

 ただし 裁判員になりたくない人が、

 「 死刑を選ばない 」と 口実に使うことも考えられます。

 裁判長が面接で 質問を重ねることにより、

 ウソを見破っていくしか ないようです。

 なぜ市民が、 死刑に関わるかもしれない 重大な裁判に

 参加しなければならないのか、 という疑問も呈されます。

 法務省は、 「 重大事件ほど 社会正義が大きく損なわれ、

 社会の主人公である国民に 正義を回復してもらうことに 意義がある 」

 と説明しています。

 裁判員制度が始まっても、 幅広く議論していくことが 欠かせないでしょう。

〔朝日新聞・読売新聞より〕 
 
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虚偽の自白

2009年05月14日 22時37分32秒 | 死刑制度と癒し
 
 やってもいない殺人を、 「私がやりました」 などと 言うはずがない。

 そう思うでしょうか? 

 アメリカでは 罪を自白した人が、 後にDNA鑑定や 真犯人の登場などで

 無実となった例が、 71~02年に 125件ありました。

 81%が殺人で、 有罪となった事件では 43%が死刑か終身刑でした。

 捜査官は まず 「犯行現場から お前の指紋が出た」 などと、

 見せかけの証拠で 動揺を誘います。

 次に 「家族に食べさせるために やったんだろう」 と、

 罪を認めやすくする シナリオを展開するのです。

 疑われた人は、

 「 この場から 一刻も早く逃れたい 」という 気持ちに駆られ、

 「 捜査官のシナリオを 受け入れるのが唯一の道 」と

 考えるようになります。

 身も心も 疲れ果てた末、

 「 覚えていないが 自分がやった 」と 思い込んでしまうこともあります。

 虚偽自白の62%は 24才以下の若者です。

 精神障害や知的障害の人も 陥りやすく、

 取り調べ時間が延び、 睡眠時間が短くなると 誰でも確率は高まります。

 自白した人は、 「 本当はやっていないのだから、

 陪審員は分かってくれるだろう 」と 法廷に希望を託します。

 ところが 虚偽自白が判明した 事件の8割で、

 陪審員が全員一致で 有罪判決を下しています。

 だからこそ 自白に至る 全過程を録画し、 法廷で見せることが大切です。

 また心理学者が、 被告の 誘導されやすい性格などの リスクを、

 陪審員に説明する州もあります。

 日本では こうした仕組みがない中で、 裁判員制度が始まります。

 自白は 捜査のきっかけに過ぎない ということを、

 かみしめておく必要があるでしょう。

〔朝日新聞より〕
 
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マグマ溜め込み、 爆発 -- 殺意の矛先 (4)

2009年05月13日 15時06分13秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 突発的に見える 一連の凶行の背後には、

 日頃から心の中に 溜め込んでしまったマグマが、

 ひょんなきっかけで爆発する、 そんな歪んだ心理が あるようです。

 写真館を営む男性を 殴り殺した少年は、

 異性関係で 自分を悩ます母親に、 鬱屈した思いを 溜め込んでいました。

 教師に注意されたのが 引き金になり、

 「 誰かを殴りたい 」と 爆発しました。

 自分は 大切にされていない存在だと、 思い続けていたのです。

 北海道で女性を刺殺した 佐藤受刑者は、

 職場のいじめを 法廷で強調しました。

 要領が悪く 無口な佐藤受刑者は いつも現場の3人に怒鳴られ、

 「 我慢して我慢して、 殺したいほど憎くなった 」と言います。

 しかし 直接3人に 対するのは恐く、 弱い女性に 矛先が向かいました。

 無関係の人を 標的にするのは、 どの事件にも共通しています。

 秋葉原事件の加藤容疑者は、 更衣室に 自分の更衣室がなかったことでキレ、

 職場や家族, 社会に対する 積年の怨みを 爆発させたのです。


 「誰でもよかった」 「むしゃくしゃしていた」

 人間関係が希薄になっている 世の中で、 孤立感を深める人が 増えています。

 日常生活で トラブルがあっても、

 相談する人さえいれば 犯行を思い止まることもできるでしょう。

 また、 不況下では 明るい未来像を抱きにくく、

 自暴自棄気に なりやすいかもしれません。

 少しでも安定した 社会が望まれます。

 そして、 刃物を向ける 相手の痛みに 想像力が及ぶような、

 命の大切さに対する 思いを育む 教育も必要でしょう。

 凶行が 次の事件の 引き金になる連鎖を、

 何としても 断ち切らなくてはなりません。

〔朝日新聞より〕
 
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「誰でもいい」 連鎖 -- 殺意の矛先 (3)

2009年05月11日 22時13分06秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 「誰でもよかった」

 そんな言葉が 犯人の口から語られる、 無差別殺傷事件が相次ぎました。

 そこには 幾つかの動機があるようです。

 JR下関駅殺傷事件の上部被告は、 社会の 不特定多数に対する恨み。

 一昨年、 北海道で女性を刺殺した 佐藤清隆受刑者は、

 職場の人間関係で ムシャクシャしたうっぷん晴らしが 動機だったといいます。

 大阪の公園で 男児をハンマーで殴った少年は、

 西鉄バスジャック事件の少年を 英雄視し、 アンチヒーローに憧れていました。

 秋葉原事件の加藤容疑者は、 現実でもネットの世界でも 孤独になり、

 自分の存在を 気付かせるため、

 できるだけ大きな事件を 起こそうと考えました。

 土浦JR駅殺傷事件の 金川被告,

 鹿児島で タクシー運転手を刺殺した 少年は、

 人を殺して死刑になりたかった と語っています。

 少年は、 人を殺したら どういう気持ちになるのか 知りたかった、

 とも述べました。

 自分で死ねないための、 形を変えた自己破壊願望、 間接自殺です。

 秋葉原事件の加藤容疑者も、 自殺願望を抱えていた 可能性があります。

 注目を集めたい、 あるいは、 死にたい。

 その手段としての 無差別殺人。

 「 誰でもよかった 」という理由で 繰り返された悲劇の連鎖を、

 私たちは 断ち切ることができるでしょうか。

〔朝日新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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精神鑑定の限界 -- 殺意の矛先 (2)

2009年05月10日 21時01分54秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 犯罪者の心の障害について、 ある鑑定医は述べています。

「 障害に近い状態にある人は 相当数いると推測する。

 しかも、 その症状は 複雑化・複合化し、

 精神科医でも 判別しにくいケースが増えた 」

 JR下関駅殺傷事件の 上部被告は、

 7つの病院と鑑定医が 別々の診断名を付けました。

 診断が 責任能力に影響するかどうかを巡り、

 裁判では 9年が費やされました。

 連続幼女殺人事件の 宮崎勤・ 元死刑囚も、

 3種類の鑑定結果が出され、 裁判は16年間に及びました。

 一体何が 真の姿なのでしょうか。

 精神科医の斎藤環さんは、

「 事件後に 犯行当時の心理状態を 正確に再現して調べるのは、

 ほとんど不可能なほど 難しい 」と打ち明けます。

 秋葉原事件の加藤容疑者は 明らかな障害も通院歴もなく、

 さらに難しいケースだといいます。

 治療の上では 障害のグレーゾーンを

 曖昧にしたまま残しておいても 構いませんが、

 司法の場では 白か黒かを はっきりと要求されます。

 弁護側や検察側がそれぞれ、 気に入る 結果が出るまで

 鑑定医を何人も変えて やり直す例もあるといいます。

 精神鑑定をすると、 まず何らかの 異常は出てきます。

 でも 当てはまる病名がないので、

 脳の障害という 恣意的で安易な診断が 多くなるということです。

 鑑定を どう評価するかの決定権は 裁判官にあります。

 そこに、 これから裁判員が加わります。

 事件が起きるまでの 被告の生い立ちや病歴、 社会的な背景などを含めて、

 犯罪を包括的, 横断的に 検証しなければなりません。

〔朝日新聞より〕

 裁判員制度では 刑事責任能力の判定の主体は、

 裁判員・ 裁判官にあることを 原則とし、

 鑑定人は 判断の材料などを説明するのに 限るべきです。

 かといって、 裁判員が 難題を背負い込まされると

 危惧する必要はありません。

 責任能力とは本来、

 専門知識よりも 社会一般の通念や 道徳観に根を下ろしています。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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凶行の背後に -- 殺意の矛先 (1)

2009年05月09日 21時07分12秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 JR下関駅に レンタカーで突っ込み、

 刃物で無差別殺傷事件を起こした 上部 (うわべ) 康昭被告 (44)。

 周りの人から拒絶されたり 悪口を言われたりしていると、

 妄想様観念にとらわれていました。

 直接嫌がらせをされたと 思う人ではなく、

 何故 相手は “誰でもよかった” のか? 

「 人類に対する 恨みつらみが募っていた 」

 上部被告は 鑑定医にそう答えました。

 周囲に 希薄な人間関係しかないと、 気持ちが爆発したとき、

 そのぶつけ先が  「社会」 や 「不特定の相手」 になるのは、

 ひとつの必然です。

( その情動は僕自身も 体験したことがあるわけです。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56791340.html )

 周囲との関係が 築けないケースには、

 何らかの障害が 絡む例が少なくありません。

 上部被告も、 「極端な考え方や行動で 社会的に適応できない 人格の障害」

 などと指摘されました。

 先天的な脳の障害と 診断されるケースもあります。

 記憶力, 抽象能力など 10項目を調べると、

 普通の人は どの項目も 似たようなレベルになります。

 05年、大阪の公園で 男児の頭を ハンマーで殴打した少年(17才)は、

 ある項目は20才レベル, 別の項目は 3才レベルであり、

 大きな山と谷が できました。

 しかし、 障害自体が凶行に 繋がるわけではありません。

 他者の感情を 読むのが苦手で 人間関係を作れず、

 集団生活が苦手な人もいます。

 それが障害だとしても、 周りが理解し、

 支えてくれる人や 希望があれば、 問題にはなりません。

 上記17才の少年の 弁護士もこう言います。

「 障害を知らなければ、 “わけの分からない奴の犯行” になってしまう。

 障害を理解して、 ある程度、 少年の思考プロセスが分かった 」

 ただ、 「病気だから」 で片づけるのは危うい、 とも危惧しています。

 ある人の障害が分かったら、 その人が不適応を起こさないために

 周囲は何をできるのか、 それを考える必要があるでしょう。

〔朝日新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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自己愛性パーソナリティ障害に関して (2)

2009年05月08日 19時42分43秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
(前の記事からの続き)

 自己愛性パーソナリティ障害の人と 接するときの秘訣は、

 相手の嫌な側面は いったん問題にせず、 賞賛する側に回ることです。

 王様か天才のように 扱うことに徹します。

 そうすると彼は 自分の中の 素晴らしい部分を あなたに投影して、

 自分の素晴らしさが 分かる人物として あなたを格付けされます。

 次第にあなたの言葉は 彼にとって特別な重みを 持つようになり、

 あなたの進言に 耳を傾けるようになるでしょう。

 ただし 義務や道理を説くより、 不安や嫉妬心、 功名心を刺激することです。

 自己愛性パーソナリティ障害の人は 基本的に小心で 負けず嫌いなので、

 不利益な事態に触れたり 競争心を突つくだけで、 有効な動機付けになります。

 自己愛性パーソナリティ障害の人は、

 実際に優れた才能を 持っていることが多いのです。

 欠点を補ってくれる 優秀なマネージャー的 パートナーと出会うと、

 彼は非常に 能力を発揮します。

 自己愛性パーソナリティ障害の人が 最も苦手なのは、

 人の言葉や教えを 謙虚に聞くということです。

 もしそれができるようなれば、 彼は本来の 有能な力を活かし、

 現実の中で成功したり、 破綻から免れることができます。

 因みに 「風と共に去りぬ」 の スカーレット・オハラは、

 精神医学的にも 自己愛性パーソナリティ障害の 見事な描写として、

 注目されたキャラクターでした。

 スカーレットは レッド・バトラーと結婚して 破綻しますが、

 本命のアシュレーと 結ばれていれば、 幸せになれたのかもしれません。

 最後に、 自己愛性パーソナリティ・スタイルについて書いた

 記事のURLを紹介しておきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43613894.html

〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書) より 〕
 
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自己愛性パーソナリティ障害に関して (1)

2009年05月07日 23時56分41秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
(前の記事からの続き)

 自己愛性パーソナリティ障害も

 BPD (境界性パーソナリティ障害) と同じ、 自己愛の障害です。

 BPDが 自己否定の泥沼で のたうち回っているのに対して、

 自己愛性パーソナリティ障害は 自己否定を避けるために、

 誇大な自信を身にまとう  「自己愛型防衛」 を行なっています。

 どちらも根底に 自己愛の傷つきがあるのです。

( ただしBPDとNPDは 隣接したパーソナリティ障害であり、

 心子もそうだったように、 BPDにも自己愛型防衛があるでしょう。

 心子も 自己愛性パーソナリティ障害的な 面も持っており、

 自分は優れた存在だと 賞賛を欲したり、

 それが得られないと 極端に落ち込むときもありました。 )

 自己愛性パーソナリティ障害は、

 傲慢で尊大な特権意識を 振りかざしているとは限りません。

 引きこもりやうつ, 対人恐怖, 心気症などの

 陰に隠れていることが 少なくありません。

 うつ病の2割に 自己愛性パーソナリティ障害が認められています。

 自己愛性パーソナリティ障害における引きこもりは、

 肥大した自己愛的理想と現実との 大きなギャップから生じます。

 自分の小さな世界に 引きこもることで、

 失望したり傷つくことから 身を守るのです。


 自分の能力が 人からねたまれて、

 迫害を受けているという 被害妄想を抱くこともあります。

 ムシャクシャすると “気分転換に”、

 犯罪的行為を犯してしまう というケースもあるようです。

 虐待や攻撃に 手を染める場合、

 反撃されにくい弱者に 対するのも特徴です。

 「 やろうと思えば 自分は何でもできる 」との 思い込みもあります。

 自己愛性パーソナリティ障害は 他への共感が 乏しいと同時に、

 防衛による 自己正当化が強いため、

 心からの 反省の念を抱くのには とても時間がかかります。

〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書) より 〕

(次の記事に続く)
 
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土浦 (JR荒川沖駅) 殺傷事件の被告と  自己愛性パーソナリティ障害

2009年05月06日 10時24分40秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 土浦殺傷事件の金川真大 (かながわまさひろ) 被告は、

 精神鑑定で 自己愛性パーソナリティ障害 (NPD) と判断されたそうです。

 自己愛性パーソナリティ障害の人は、

 自分は特別な存在だという 誇大な思い込みを持ち、

 それに相応しい成功を 夢見ています。

 人から批判されることを 全く受け付けませんが、 その裏返しで、

 小さな悪評で 酷く傷つき、 わずかな挫折で 自殺してしまうこともあります。

 金川被告は 高校生のときから、

 努力しても 報われずに傷つくことを 怖がっていたそうです。

 「 負ける前に引く 」

 それが スタイルだったといいます。

 金川被告は 犯行に向かう前、 こんなメッセージを 残していました。

< 私こそ、 最も優れた存在だ!!

 全てを終わらせる。

 もう この世界には飽きた。

 だから、 お終いだ >

 また自己愛性パーソナリティ障害は、

 人から賞賛を受けるのが 当然と思っていますが、

 人への共感は 著しく欠如しています。

 他人は 自分の利益のために 利用する存在でしかなく、

 非常に冷酷で 搾取的な構造があります。

 逆に 自分が受ける 苦痛に対しては、 どんな些細なことも 我慢できません。

 死にたかったが 自殺は痛いから嫌だ、

 死刑になるために 人を殺したという 金川被告の動機は、

 そんな特徴を 現しているのかも知れません。

 金川被告は まるで対戦ゲームに 興じるかのように、

 被害者一人一人への 切り付け方を克明に覚えています。

 しかし 刺された人が どれだけ恐怖に怯え、

 苦しんでいたかは 全く見ていませんでした。

 自己愛性パーソナリティ障害は 何かのきっかけで 犯罪行為に走ったり、

 反社会性パーソナリティ障害に 変貌してしまうことがあるのは、

 他者への共感の乏しさが 一因していると考えられます。

〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書), 朝日新聞 より 〕


 金川被告は 今回の初公判でも 薄笑いを浮かべたり、

 何も感じていない 様子だったといいます。

 ところが、 検察側が 被害者が受けた傷の状態を 詳細に述べたとき、

 金川被告は失神しました。

 一時 休廷されましたが、 なぜ被告は 気を失ったのか? 

 自分が 被害者に与えた傷が 生々しく再現され、

 彼は初めて 自分がやってしまったことの残酷さに 現実的に気付いた……

 希望的観測で、 そうではなかったかと思いたいものです。

(次の記事に続く)
 
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自ら望む執行 反省なく (その2) -- かえらぬ命 (11)

2009年05月05日 20時18分57秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 最近5年間で 79人の死刑が確定しました。

 その中で12人は、 自ら 控訴や上告を取り下げ、

 うち3人の刑が すでに執行されました。

「 死刑になりたかった 」

 昨年3月、 JR荒川沖駅で起きた 8人殺傷事件の

 金川真大 (かながわ まさひろ) 被告 (25) は、

 動機を供述しました。

 反省なく 自ら死を望む 死刑囚の存在は、

 究極の刑の意味を 問いかけています。

〔読売新聞より〕

-------------------------------------

 大阪池田小学校事件の 宅間守, 秋葉原無差別殺傷事件の 加藤智大も、

 死ぬために できるだけ多くの人を 殺そうとしました。

 死刑になりたいという 動機の犯罪は、

 死刑制度の存続に 大きな命題を突きつけます。


 なお、 昨日の記事の 山地死刑囚のような人間は、

 もしかすると 反社会的人格障害の可能性があります。

 仮にそうだとした場合、 死刑が 苦痛にも償いにもならない 人間に対して、

 死刑はどういう意味があるのか 考える必要があるでしょう。

 反社会的人格障害は 治療が極めて困難だということも、 難しい問題です。

 ただ 重症でなければ、 「反社会的パーソナリティ・スタイル」 として

 落ち着いていく可能性が あるかもしれません。

 「パーソナリティ・スタイル」 は、

 「パーソナリティ障害」 が その特徴を持ちながらも、

 バランスの取れた人格に 成熟していく考え方です。

(参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43890362.html
 
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自ら望む執行 反省なく (その1) -- かえらぬ命 (11)

2009年05月04日 10時22分02秒 | 死刑制度と癒し
 
< 今回の事件について 反省しているかと言えば、 答はNOです。

 後悔しているかと言えば、 その答もNOです >

 山地悠紀夫 (ゆきお) 死刑囚の供述調書には そんな言葉が並んでいます。

 2005年、 山地死刑囚は マンションに押し入り、

 上原明日香さん (当時27才),

 妹の千妃路 (ちひろ) さん (同19才) に 性的暴行を加え、

 ナイフで胸などを刺し 殺害したうえ、 部屋に火を放ちました。

 公判では、

「 当然、 死刑になると思います 」

「 死に対する恐怖はない 」

 などと、 表情を変えずに 語りました。

 明日香さん, 千妃路さんの父・ 和男さんは、

 意見陳述で 涙声を振り絞りました。

「 ナイフを刺される恐さ、 痛さ、

 意識がなくなっていくつらさを 分かってほしい 」

 しかし、 何を言っても 被告には届かない とも感じていました。

 山地の弁護士は、 こう考えます。

「 生きることに執着がなく、 他人の命にも 思いが至らない。

 心底反省するのは 無理だろう 」

 死刑判決が言い渡され、 弁護士は控訴しましたが、

 山地死刑囚は 自らそれを取り下げました。



 05年、 ネットの自殺サイトを使って 3人の男女を誘い出し、

 口や鼻をふさいで 窒息死させた 前上 (まえうえ) 博死刑囚。

 人が窒息するときの 表情を見て、 性的快感を得ようとした 犯行でした。

「 社会に戻っても、 再び人を襲うのではないかという 不安を抱えている 」

 自らそう明かし、 死刑判決を受けて 弁護士が控訴しても、

 それを取り下げました。

 被害者の母は、 次のように感じ始めています。

「 彼の場合、 死刑になることは 現実からの逃げでしかない。

 遺族だけが 苦しみを抱えて 生きていくことになる。

 死へ逃避するくらいなら、

 一生 悔やんでもらった方が いいのかもしれない 」

(次の記事に続く)
 
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確定21年 …… 「長すぎる」 -- かえらぬ命 (10)

2009年05月03日 10時34分01秒 | 死刑制度と癒し
 
 1975年、 日本連合赤軍は クアラルンプールの米国大使館を占拠し、

 50人以上の人質を取って、 日本政府に 要求を突きつけました。

 政府は超法規的措置で、 過激派5人を釈放します。

 1年前の三菱重工ビル爆破事件の 犯人の一人、

 佐々木規夫被告も 含まれていました。

 松田將希 (まさき) さんは、

 そのテレビ画面を 複雑な思いで見つめていました。

 松田さんは 妹のとし子さん (当時23才) を、

 爆破事件で亡くしています。

「 妹の無念を思うと 悔しかった。

 でも、 死んでしまった人より、 人質になった人の 命が大切だから……」

 爆破事件の主犯格・ 大道寺将司, 益永利明は、

 87年に最高裁で 死刑が確定しました。

 しかし、 それから 21年たった現在も、 刑は執行されていません。

 共犯が 海外に逃亡しているのが、 執行できない理由の ひとつだといいます。

 大道寺死刑囚は述べています。

「 死刑とは 人間の生命と人権を 奪うものであり、

 廃止すべきだと 考えるようになった 」

 いま両死刑囚は 第3次再審請求を行なっています。



 76年の北海道庁爆破事件の 被害者・ 内山武三さんは この32年間、

 仲間の被害者が 次々と亡くなっていくのを 見てきました。

「 事件が風化し、 知らない世代からは

 『死刑囚がかわいそうだ』 という声が あがるかもしれない。

 人の命を奪う刑だから 執行に慎重になるのは分かるが、

 このままでは 被害者だけが苦しむことになる 」

 死刑執行まで長すぎる …… 被害者はそう呟きます。

〔読売新聞より〕
 
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冤罪主張 苦悩の遺族 -- かえらぬ命 (9)

2009年05月02日 21時46分36秒 | 死刑制度と癒し
 
 高橋和利死刑囚 (74) は、 法廷で一貫して 無実を訴えています。

 老いた妻が テレビに出演し、 「夫を信じている」 と話していました。

 それを見て、 高松節子さん (61) の心は揺れました。

「 刑が執行されれば、 私の悲しい気持ちは 変わるんだろうか。

 逆に、 事件に何の責任もない あの奥さんは、

 すごく苦しむんじゃないか…… 」

 節子さんの 父・ユン=インヒョンさんと 母・小林ハツさんは、

 事務所で 遺体となって発見されました。

 バールのような凶器で めった打ちにされ、

 1200万円が 盗まれていました。

 高橋死刑囚は事件当日、 事務所から 1200万円を持ち去り、

 別の借金を返済していました。

 警察で 殺害を自供しましたが、 物証や目撃者はありません。

 公判では転じて 無罪を主張。

「 事務所に入ったとき、 二人は すでに殺されていた。

 その場にあった 札束を欲しくなり、 取って逃げた。

 自白は強要された 」

 節子さんは、 冤罪ではないかと疑ったことは 一度もありません。

 ただ、 犯行を否認したままの 死刑囚を憎もうとして、

 憎みきれない思いも残ります。

 死刑を望んだ気持ちが 薄れつつあるようにも感じます。

「 両親、 中でも父は 凶悪犯罪を絶対に 許さない人でした。

 遺族である私が ためらいを見せるのは、 やはり社会にとってよくない。

 『 悪いことをしたら 報いを受ける 』

 というルールは きちんと守ってほしい。

 そう求めることが 遺族の責任だと思っています 」

〔読売新聞より〕
 
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謝罪への一歩 老親に重く -- かえらぬ命 (8)

2009年05月01日 08時51分29秒 | 死刑制度と癒し
 
 拘置所にいる 一人息子の死刑囚に、 80才代の両親は、

 2ヶ月に一度 3万円を送り続けます。

 わずかな年金収入を 切り詰めて工面しています。

 事件後、 父は 検察官に訴えました。

「 すぐにでも死刑にして、 殺してください 」

 謝っても 謝りきれないことをした。

「 生かしてほしいとは 絶対に言えない 」

 今も そう思っています。

「 毎日毎日、 自分たちの体は 弱っていく。

 こっちが死ぬのが先か、 息子が執行されるのが先か 」


 別の死刑囚の母は 70才を超えても、

 毎月1回 2時間かけて 拘置所に足を運びます。

 息子が起こした事件で いかに多くの人が 苦しんだか、

 痛いほど分かります。

 本心は 再審請求をしてでも、 生き延びてほしい。

 でも そんなことを願う自分は ずるい、 とも感じます。

< 食べるものも 着るものもあるところで、 あなたが今、

 生かしてもらっていることに、 私は感謝しています。 >

 先日、 息子に そんな手紙を書きました。

 息子にとっても 死刑はつらいと思う。

 でも、 それが起こした事件の 責任を取ることなのだ。

 母は自分に そう言い聞かせています。

〔読売新聞より〕
 
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