お金じゃなく…宗教界だからできること
伝統仏教教団の事務方の幹部とのやりとりだ。
私「震災後、どのような支援活動に力を入れていますか」
幹部「義援金ですよ」
私「お金ですか?」
幹部「すでに1億円を超える額を被災地の寺院や自治体に送りました。まだまだ送りますよ」
あまりに堂々とカネと言われてしまい、拍子抜けした。
「現実問題として経済的支援は大切です。ボランティアの派遣にも力を入れてはいますが」とも。確かに金額も派遣規模も大きく、素直に頭が下がるのだが…。
この教団に限った話ではない。新宗教も含めた多くの教団が、「1億円寄付」「5億円を拠出」といった広報文を積極的に何通も出している。実際、多くの教団ホームページや広報誌には、自治体などに義援金を渡す場面の写真が多く掲載されている。
常日頃、「布施は金額の多寡ではなく気持ちの問題。慈悲の心を表すもの」と言っているのに、義援金に関しては堂々と規模を明示し誇示しているところが、どこかしっくりこない。
震災から半年。復興への確かな歩みがある一方で、悲嘆のふちにいる人もたくさんいる。政治や行政も人々の心にまでは入っていけない。心の救済や生きる道を説くのが宗教であるとするならば、世間に訴えることは他にあるはず。
ザ・リバティWeb
「大震災で多くの方が亡くなり、改めて宗教の役割が説かれている今、伝統仏教にはもはや「宗教」としての役割が果たせなくなっているのが、よくわかる。
本来の宗教の役割とは何か。あの世の存在を教え、生きている人には正しい生き方を、亡くなった霊には正しくあの世へ還れるように諭す。これが本来の「慰霊、鎮魂」の意味だ。
しかし、伝統仏教の多くはあの世について語れず、そもそもあの世を信じていない僧侶が多いと言う
この9月11日に、仙台市では幸福の科学主催による「東日本大震災慰霊祭」が執り行われ、多くの被災者が参列した。約30人の僧侶による、読経、引導、説法により、この世が仮の世であり、あの世が本来の世界である事を諄々と諭し、なくなった諸霊をあの世へと導いた。
そのようにきちんとした「慰霊・鎮魂」とおこなっている慰霊祭についてはマスコミは報道しようともしない。宗教に対する偏った報道が、宗教に対する偏見を助長している。
宗教の本来の役割とは何か。それを宗教者自身も問い直し、きちんと発信すべき時がきている。」
ザ・リバティWeb http://www.the-liberty.com/article.php?pageId=2&item_id=2842