一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「スカーレット・オハラる」

2005-04-06 | 乱読日記
今日は「うつ」の話から。

友人の精神科医のたとえ話で、「うつ」というのは「脳の疲労」で、筋肉や内蔵と同様に、脳も負荷をかけすぎて限界を超えると、機能が衰えてしまう状態をいうのだそうだ。

ただ「うつ」のやっかいなところは、筋肉痛と違って限界を超えたかどうかが本人にもわからないので、普段頑張っている人は「こんなことじゃいけない!」と一層負荷をかけてしまい、→しかし思ったように動けない→さらに精神的に追い込まれる、という悪循環に陥りやすいところだそうです。

そうなったときの一番の対策は(最近の抗うつ剤は副作用もなくいいらしいのですが、それに加えて)「何もしないでグダグダしている」ことなんだとか

ただ、けっこうこれが難しくて、家族や友人や仕事仲間は「ガンバレ」なんて(善意なんだろうけど)余計な励ましをもらうと、それがプレッシャーになってしまう。
頑張れないから「うつ」なのにね・・・

そうならないように、脳もときどき、
気分を切り替える=ストレッチで違うところを伸ばす、
開き直る=過大な負荷をかけすぎない、
とかデレーッとする=弛緩させるというのも、
重要なんでしょうね
※ 僕は最近弛緩しすぎで脳の筋力が落ちているような気もしますが、それは別の問題ですね


この気分転換の名人が、「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラだ、というのが、売れっ子(もはやカリスマ?)翻訳家の柴田元幸さんのエッセイ『生半可な學者』にある。
なんでも、学生のころ「スカーレット・オハラる」という言葉が仲間うちで流行っていたとか。

ちょっと長いが引用すると

 かの壮大な歴史小説『風とともに去りぬ』の愛すべきヒロインは、南北戦争で世の中はめちゃくちゃになるわ、父親はいっぺんにモウロクして赤ん坊同然になるわ、いとしいアシュリーは現実適応能力がまるっきりないわ、てな具合で彼女の世界が抱え込んだ問題をぜんぶ一人で解決しなきゃならない。食べ物はない、お金はない、北軍がいつ攻め込んでくるかわからない。ああ、どうしよう? とスカーレットは思い悩む。そして彼女はどうするか? たいていは、明日考えることにして、寝てしまう、のである。これを我々は「スカーレット・オハラる」と呼んだのだ。彼女がよく使う文句でいえば"Tomorrow is another day" (明日は明日の風が吹く)である。
 この、寝てしまう、というところが、愛すべき我らのスカーレットのもっとも愛すべき点ではないかと思う。そして彼女は、明日になったらその問題をふたたび考えるだろうか? 答えはノー、たいていは問題の存在さえきれいに忘れている。こういういい加減さもまた、彼女の愛すべき点である(いうまでもなく、「忘れる」ことも「スカーレット・オハラる」ことの一部である)。もちろん生存そのものにかかわる問題となれば、彼女もそれなりに真剣に考える。けれど、とりあえず死ぬわけではないトラブルについては、彼女はそれに対処することではなく、忘却の彼方に押しやることによって解決するのだ。時には問題のほうで勝手にみずからを解決してくれることだってある。まさに「明日は明日の風が吹く」のだ。


確かに、寝てしまう、といういい加減さ、いい意味での無責任さは、現代人に必要な資質の一つかもしれないですね。

※ただ、日本は社会的地位を得るほど公的な立場において無責任になる、という傾向があるようなので、それは問題だと思うのですが・・・(私生活で無責任なのはいいとしても、ね)


しんどいときは"Tomorrow is another day"でいきましょう



生半可な学者―エッセイの小径

白水社

このアイテムの詳細を見る
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする