一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

列車事故の教訓

2005-04-27 | 天災・人災
昨日の夕方地下鉄銀座線に乗っていたら、虎ノ門駅に着いたところで「車両点検のためお待ちください」とのアナウンスが流れた。

しばらく待っていても一向に発車する気配がない。

もうしばらく待っていると、いきなり「この電車は回送になりますので、全員降りてください」と言われ、電車は無人で走り去ってしまった。

ホームに下りて聞いたアナウンスによれば、社内に異臭がしたという通報があったので原因を確認しようとしたが、原因がつかめなかったので安全を優先し回送としたとのこと。


福知山線の事故の影響か、地下鉄も安全第一を改めて徹底しているようだし、乗客側も文句を言わずに指示に従っていた。


事故が起きて見ると、我々はダイヤの正確さやスピードと引き換えに、自分の安全をリスクにさらしていたということに改めて気がつく。

「速さ」「正確さ」「安全」を同時に実現するには、今のダイヤは限界で、何かをプラスして得るためには何かを失うことを覚悟しなければいけない、という臨界点に達しているのかもしれない。


少なくともあの電車の運転士は、「正確さ」を実現するのに必死でそれが「安全」を損なう事だという意識を(少なくとも急ブレーキをかける直前までは)もっていなかったのだろう。


確かに評価基準としては「速さ」と「正確さ」は客観的に計測可能なので、まずはそれを実現するように組織としてはプレッシャーをかけがち、という構造は理解できる。


それは、目標管理制度、成果主義が全盛の今の企業の姿にも共通する落とし穴かもしれない。

そしてまた、個人にとっても、目に見える指標を得るために、眼には見えにくいが重要なものを損なっていることはないだろうか。


今回の事故を教訓に、ちょっと幅広く身の回りを見直してみようと思う。
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