一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

吾妻ひでお『失踪日記』(前編) または宮澤賢治「眼にて云ふ」

2005-04-16 | 乱読日記
吾妻ひでおという漫画家をご存知だろうか?
1980年代のコミックに美少女と不条理とSFを持ち込んだ「天才」と言われていて、今でもカルト的な人気がある(らしい)。
昔「少年チャンピオン」などの連載を読んでいたことがある。
確かにあのころ少年漫画に「美少女」を持ち込んだのは最初だったかもしれない。
また、当時「少年チャンピオン」は山上たつひこの「がきデカ」や鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」というパワーのあるギャグマンガが牽引していて、どちらかというとそれらの陰でこっそり好きなことをやっている、というイメージがあった。

その吾妻ひでおが、失踪(89年と92年、89年は自殺未遂も)・路上生活・肉体労働、アルコール中毒・強制入院までをノンフィクションで綴ったマンガ『失踪日記』を読んだ。

「本当に悲惨なところは書いていない」らしいが、本人独特のコミカルなキャラデザイン(それに、通行人まで登場する女の子が全部美少女キャラ)と飄々とした視線が、悲惨な状況をかえってリアルに描く事に成功している。

この手の告白本は「本人の内面の叫び」が前面に出てしまうのが多いが、そこがギャグ漫画家としての面目躍如。
なかなかの傑作だと思う。


ふと思い出したのが、宮沢賢治の「疾中」にある「眼にて云ふ」という一遍を思い出した。
*ちくま文庫 宮沢賢治全集(2)に収められています。

もともとは、坂口安吾『堕落論』の中の「教祖の文学」という小林秀雄論の中で引用されていて知ったもの。

没後50年以上経っているので著作権の問題もないでしょうから引用します。

*****************

 眼にて云ふ

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

********************

坂口安吾は、小林秀雄を批判して「何をしでかすかわからない人間が、全心的に格闘し、踏み切る時に退ッ引きならぬギリギリの相を示す。それが作品活動として行なわれるときには芸術となるだけのことであり、よく物の見える目は鑑定家の眼に過ぎないものだ」という。
※ 余談ですが、僕は「堕落論」より、この「教祖の文学」の方が好きです。

そして、この詩を引用してこういう「半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当たりの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の眼で書いたと(go2c注 小林秀雄の)言う物の実相と、この罰当たりが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違うのだ」

確かに、悟りとも諦念とも異なる、一種迫力のある透明さが伝わってきます。
自然や宇宙を自分の世界に取り込んだ賢治のなせるいのちの表現方法なのだろう
(表現力が乏しい・・・)


吾妻ひでおの『失踪日記』も、こんな「罰当たりの視線」が共通して感じられる。

と前置きだけでこんなに長くなってしまったので、2回に分けることにします

失踪日記

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コメント (2)
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